´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。
みんな長生きしたいですか?
ぼくはそれほどでもないです。
まぁ、明日までの命って言われたら嘆きますが。なぜかというと、子どもたち成人しとらんし、奥さまも途方に暮れるだろうからね。
ですが、本当に明日までの命だってわかったら、それはそれで受け入れるんじゃないかな。
そんな気がする。
んじゃ長生きしたくないかと言われたら、うーん、そうかもw
でも長生きしそうな予感がするので、もしそう(長生きしてしまう)でも諦めて、死ぬまでは生きます。
さて、なんでこんな事書いたかというと、
この記事読んでさ
すっげーなぁ!って思いました。
本当に人生楽しいんだと思う。辛くても。
これ見て思い出したのが、やはり一休さん。
一休さんも、死の間際、
「死にとうない。死にとうない」
言ったらしいので。
「我が生涯に一片の悔い無し」
と死ぬのがいいのか、
「まだ死にたくない」
と死ぬのがいいのか。
その両方の、
「まだ死にたくないが、悔いはない」
と死ぬのがいいのか。
って思うけれど、なんかどうでもいいねw
死に方ってどうでもいい。もがいても、悪あがきしても、受け入れても、悲惨な死に方でも、安らかでも、逆恨みで演説中に撃たれても。
人の学びのタネにする人はいるだろうな。自身の死を。
それは別にどうでもいい。残された人だったり、あるいはそれを知った人がどのように感じ、何かを学ぶかってタネになるだけで、生前善い行いをしたから安らかに死ぬとか、生前悪いことをしたから悲惨な死に方するとか、そういうのもぼくはわりとどうでもいいし、
実際は、死に方って関係ないですゾ。
何かの役に立つなら、良い人が悲惨な死に方することって全然ありますからね。
そして、人は死ぬべき時に死ぬということです。
名もなき人も、安倍元総理大臣も、すべからく死は平等に訪れますので。
しかしやなせたかしさん、すっげーなぁ。
でも「死にたくない」って気持ちで悩むのは、ちょっとかわいそう。
それも学びなんでしょうけど。
「面白いところへ来たのに俺は
なんで死ななくちゃいけないんだよ」
それは同感w
面白いゲームだよね。ウンザリすることもあるけど。
ってか、面白いところに「来た」って自覚はお有りだったんですね。
多分一休さんもね。
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪
さて、国葬に賛成反対どうでもいい いろいろ意見あれども、
(ぼくはオリンピック立候補・開催 に対するスタンスと一緒で、決まる前は反対だったけど、やるとなったら粛々とやってくれ という意見です)
「国葬デモに音が鳴るもの持ってきて、黙とう中に音を鳴らそう」
とかあたまおかしい。ぼくは葬式とか大っ嫌いだけれど、だからといってそれを妨害行為するのとかは大嫌いを通り越してものすごく嫌な気分になる。いや、日本以外では花火上げたり、大騒ぎしたりする文化もありますが、それはそれであの世に行ったという祝福からくるものですから。日本は静かに故人を悼み、送り出す という文化だったと思うんです。
むしろ、(自分にとって)悪を成した人であっても、死んだら仏というのが日本人的感覚だったと思うんですが、今は違うんでしょうかね。
(自分にとって)悪を成した人だから、葬式妨害活動を公にしていい という活動家?的な理論にがっかり。