´ω`)ノども、週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。
さて表題について。
じつはぼくは小山田圭吾のファンだったりした。
「ファンだった」ということは「今はファンじゃないんですね?」と聞かれそうだがそうではない。
音楽、特にボーカル付きの商業的音楽は、もう何年も前からほとんど聞かなくなってしまったので、「そういえば昔ファンだったな」くらいの認識で、音楽との距離は年々開く一方であるわけです。
で、今回の炎上問題。
90年代のロッキング・オンとクイック・ジャパンでそんな記事があったとは知らんかった。
90年代から2000年代前半、ぼくはロッキング・オンを熱心に読んでた記憶があるんだけどなぁ。
オアシスやブラー、レッチリ、レディオヘッド、スマッシング・パンプキンズなんかを熱心に聞いてた。
んで、その記事について語った記事を読んだ
news.yahoo.co.jp
https://news.yahoo.co.jp/articles/badb7d2a4be4d164c1622913849fb08dbec52d56
まぁ、当時のインタビュアーのノリとかもあったと思う。
そんなインタビュー受けなきゃよかったんじゃないかとも一瞬思ったりもしたが、
でも
40年前のいじめの因果応報をしっかり今受けたことでそれはそれで本人の魂的には良かったんじゃない?とも思ったりする。
40年前だから、あるいは26年前の記事だからな と、同情できるような内容じゃないのはわかってますよ。
された方はずっと死ぬまで傷を負っているものだからね。
した方はすぐ忘れるというこの理不尽さがね、もうね。
んで、まぁこれはもうずっとメジャーで大大的に活動するのは難しいだろうけれど仕方ないね。
これまでに、一度しっかり、心から謝罪してれば、どこかで救いはあったと思うんだけどな。
その報いを受けることができて、くどいようだけど魂的には良かったと思う。
まぁ、被害者には心から謝罪する機会が今生で訪れればなお良いと思う。
でだ、
被害者には心から謝罪する機会があればなお良いとは思うんだが、
でもな、いたずらに叩きまくってる人たちね。
叩きまくってる人、その人たちも、いじめと同じ構図なんですゾ。
因果応報って言いまして、
叩きまくっていじめと同じことしている人ね、その人も、小山田圭吾と同じ業(ごう)せっせと背負ってるわけですゾ
確かに彼(小山田圭吾)はオリンピック・パラリンピックの仕事を引き受けるべきではなかったと思う。まったくもってそうなんだろうと思う。
でも、死ぬまで絶対に許すな的な発言で叩きまくってる人は、やっぱり同じ業を背負っちゃうわけです。小山田圭吾関係なく。
赦す赦さないを叩きまくる人が決定するわけじゃないの。
ま、こうして悪縁というものは連綿と続いて行くのだろうとは思う。
それが昇華されるまで。
さて、「悪いことは悪い」。これはハッキリしているわけだけれども。
当事者同士以外の人の業(叩きまくって憎悪をリサイクルしている人の業)を昇華する方法、どうするか知ってます?
約2000年前に、ナザレの彼が言ってますな。
不倫(姦通)で民衆に裁かれる女性を前に。
(この時代の『ノリ=普通』は、死ぬまで石でぶたれて殺されちゃいます)
そう言うことです。
正義の名のもとにリンチをして、業を拡大リサイクルする必要はなくって、それは悪いこと(犯罪)だから、心から改心したほうがいいと言って、
そして本人がこころ改めれば、それがいいのになぁ と思う今日このごろ。
まぁ、わかりやすい因果応報がないと、人間ってなかなか成長できないような存在なのだろう。
人を叩きまくって正義の快感に酔いしれるのではなくね、我がふりを省みる機会にしましょう。
ぼくらはナザレの彼のように振る舞えるだろうか?
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪