´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。
さて、引っ越しが近づいてまいりまして、面倒な手続きやら荷造りやらをやっています。
奥さまは今回、引っ越しについてのいろいろを頑張っています
(そりゃ言い出しっぺ本人だからなぁw)
ぼくは元来、家なんてものは、雨風しのげればどこでも何でも良い と思っている人間です。
だから多少ボロくてもぜんぜん構わないw
現在住んでいる80年代の家も、「広いし元々ボロいから気兼ねしなくていいなぁ」と思っている。
虫が出ると奥さまも子どもたちも大騒ぎしますが、「そりゃあ虫ぐらいいるさ」くらいにしか思わんのよね。
みんな気にし過ぎだろうw
とまぁ、そんなふうに思ってるんですが、これはもう、前世でどんな生活をしてきたかで耐性が変わってくるんだろうなぁと。
ぼくは立派なお寺も、それこそあばら家も経験している(と思う)ので、雨風しのげるだけでマシじゃんw
とか思うんだろうと。
ほら、一休さんの
我が宿は 柱もたてず 葺きもせず 雨にもぬれず 風にもあたらず
という言葉がすきで、家なんてとくに気にせんのです。
この和歌の「宿」は実際の住まいではなくて、新右衛門さんとの会話で、
「仏性」のことを書いてるわけなんですけれども。
んで、一休さんは新右衛門さんにこんな事言うんですよね
かりの世に 貸したる主も借主も 貸すと思わず 借りると思わず
そうそう。ぼくもそう思う。
だから奥さまがマイホームほっすぃ川* ̄ー ̄) って言うのも、
ぜんぜんどうでもいいっていうか。
この世は仮初めのゲームの世界なんだから、家を買って自分の足かせを増やすのもなぁ(子供3人も作ってる人間が言うかw)
と、思わなくもない。
まったくどうでもいい なので、お金が捨てるほどあったら買ってもいいが、ローン組んでまで買うものかね?とも思う。
住まいとか、人の生死とか全般、別にこの世(仮初めのゲームの世界)が終わったらあっちに帰るんだからなぁ、
人が死んだら死んだで、
お疲れ様でした (´∀`*)ノシ
くらいには思うけれども、必要以上に悲壮感に落ち込むこともないと思うの。
まぁ、奥さまや子どもが死んだらそりゃメチャクチャ悲しむけれども、
でも、だからといって、死んだら終わり、無 とか思ってる人たちから比べると、たぶん、
ゲームクリアしちゃったから、俺もう家に帰るわ じゃあまたね
って言われるくらいにしか思ってないので、死というものすらも大事(おおごと)じゃないっていうか。本人の不幸とは思わん。
いや、残された人はめっちゃ寂しいのですゾ。
それはわかる
友達と楽しくゲームしてたら、突然友達が、
もう家に帰るわ んじゃまた
って言ってさっさと家帰っちゃって、ぼく一人で部屋に残ってゲームするのは、寂しいかもしれん。(恋人ならなおさら)
でもだからって、「友達が不幸」と思うのはないでしょ?そういう場合。
友達は家に帰れば、家族とうまい飯と、風呂が待ってる家に帰るだけなので、
残されたぼくが一人でゲームするのが寂しいだけなんだから。
つまりそういうことです。
ただね、仕事はそうはいかない。
会社勤めでは人間やってるなぁと思う。(本気でゲームに集中してしまうw)
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪