「とりまお茶でもどうぞ」

日頃思ったこととか

あの人がいい人になればいいのに

´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 

 

今日はちょっとグチ。

 

 

先日ね?国道にところどころ設置されている公共の駐車場にね、ゴミが散らばっていたんですよ。

 

 

コンビニ袋にいっぱい弁当のゴミとか缶ジュースとか入ってたんでしょうね。

 

 

それを駐車場にポイ捨てして、たぶんカラスがそれを解体して、ゴミがすごく散らばっててね。

 

 

こういうの見ると、本当に嫌な気持ちになります。

 

 

コンビニのゴミ箱に家庭用のゴミをバンバン捨てる人を見ただけでかなり嫌な気持ちになるんだけれど。

 

 

っていうか、コンビニの障害者用駐車スペースに健常者が駐車するのだってなんかすごく嫌なのです。

 

 

でもそれは、「見た目だけで判断しちゃ悪いな。パニック障害とかそういうので障害者手帳持ってる人かもしれんしな」とか思うので

 

 

特に深くモヤモヤするわけじゃないですけれど。

 


同様に、最近救急車に速やかに道を譲らない車も多くなってきているようです。

hamusoku.com

ぼくもね、見かけたことあります。

 

 

それもね、とても嫌な気持ちになります。

 

 

まぁ多くの人は道を譲るんですけれども。

 

 

でも、わかってて追い越したり、道を譲らない車なんか見ると、

 

 

○ねばいいのに って、周りがぼくの心の修羅を聞いたら、かなりドン引きレベルの感情を普通に抱いてしまうんだな。ぼくは。

 

 

前に書いた事あるかもしれないけど、次男くんがクラスのいじめっ子が、ある特定の子供をいじめていたとき、

 

 

それを見て、

 

 

(・・) 「あーあ、学校いやだなぁ、あの人がいい人になればいいのに・・・」

 

 

ってつぶやいてて、

 

 

ぼくはそれを聞いて

 

 

(゚д゚) 「・・・お前すげーな、パパは『シ○ばいいのに』って普通に思ってしまうぞ。すげーなお前」

 

 

って感心したら、

 

 

(;´Д`)「流石にそんな事思わないよぉ」

 

 

って言われました。

 


ぼくはちょっとその辺が修羅なのかもしれんなぁって思いました。

 

 

観音さん(観音菩薩)よりお不動さん(不動明王)のほうが性に合ってるやもしれん

(-_-)

 

 

少なくとも、ゴミを平気で捨てていったり、家庭ごみをコンビニに大量に捨てたり、救急車に道を譲らない不届き者は、『それ相応の因果応報を受けろっ、今すぐ本人が良くわかる形で受けろっ』 って思ってしまいます。

 


まぁそんなこと言ったって、お隣の文化事情よりはずっと平和のようですが

nihonsinwa.com

 

 

「日本はもう終わり」みたいなことを簡単に言う人に対しては、じゃあ他の国に住んでみなよなんて思うんですけどね。

 


ぼくはちょっと神経質なのかなー(-ω-;)

 

 

ぼくもこう、人に罰を与える気持ちって、傲慢なんだろうな~と思ったり。

 


人間やってるよね。まったく里の行だな。

 

 

んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 

 

ちゃお♪

 

マナー講師とかけて法要と説く

 

そのこころは、

 

 

意味ないルールが増殖(ニッコリ

 

 

´ω`)ノ ども週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 

 

最近奥さまの引っ越し熱が高まりまして、いろいろ奥さまが検討した結果

(ぼくはボロ屋で全然構わない)

 

 

不動産屋さんに内見申し込んだりして。

 

 

んで、不動産屋さんと話しているうちに

 

( ̄o ̄) マンションでいいんじゃね?

 

って不動産屋さんと奥さまに言ったら「ではマンションもご覧になりますか」という話になって、

 

 

速攻で次の住処が決まりました。

 

 

クソ田舎から街に引っ越すことに。

 

 

奥さまは、家族で一番文句言うけど、かなりの優柔不断で、物事を自分では決められない人。なので、ぼくが動くとバンバン物事を決めていきます

 

 

んで、日程とか手続きとかは奥さまに任せてたら、不動産屋さんとのやり取りで頭がパンクしたらしくw

 

 

ぼくが電話変わって、やっぱりバンバン日程も決めました。(いちいち不動産屋さんの要望とか全て受け入れてたら物事進むものも進まないので、ぼくが決めて不動産屋さんに「この日で」って決めました)

 

 

┐( -"-)┌ヤレヤレだぜ。

 

 

奥さまみたいな人が会社の社員になったらどうするんだろう?全部上司に決めてもらうのかなぁ って思ったんですが、まぁそうなんだろうな。

 

 

ぼくがビシバシ決めてあげると、奥さまもテキパキ動くので、奥さまは言われた作業をこなすのに向いてると思った次第。

 

 

さて、話は変わって、

 


先月だかウチの新入社員が、マナー講座なるものを受けたと聞いたんですけれども、アレって今は無駄なルールがかなり増えていて意味あるのかな???ってぼくは思っています。(良心的なビジネス基本マナーをしっかり教える人がほとんどだと信じたい)

 

 

で、先日チコちゃんに叱られるって番組でマナー講師の態度で炎上したって話題があって(うちにはテレビないけど)

 

news.yahoo.co.jp

news.nifty.com

 

この炎上の件だけじゃなくて、マナー講師のマナーって、かなり無駄な、新しいマナーが多い というか、増えている。

 

 

で、この話題で、なるほどやっぱり意味のない無駄なマナーがどんどん増え続けてるんだなーって改めて思いました。

 

 

そういう新しいマナーって、マナー講師自体がどんどん追加していくらしく、普通にビジネスしている人から見たら、何このクソ無駄な誰も知らないマナー???ってのが結構あったりするわけです。

 

 

まぁ、去年の新人君から「ご苦労さまです」って言われた時は苦笑いだったけど、

(まぁ、彼に悪気はないし、気持ちは伝わるからいいんだけどさw)

そういう基本的なことをキッチリ教えるくらいでいいんじゃないかな。

 

dime.jp(これも大正時代からだったんだね)

 

 

マナー講師たちが、新しくマナー作って、それを教えて、それを広げて、自分たちの仕事を作ってるような、そういう本末転倒なことになっているのが疑問。

 

 

無駄すぎだよ。そんなの。

 

 

キチッと基本的な言葉使い、挨拶、自己紹介とか名刺交換とかそういうのでいいんだよ

 

 

もうね、アホかと馬鹿かと。

 

 

自分たちで訳のわからん無駄なマナー作って、それを厳しく教えて自分らの職業の重要性を高めるとか、、、姑息でしょ。

 

 

ぼくはこの話を聞いて、全然関係ないんだけど、葬式を思い出しましたよ。

 


葬式も訳のわからん無駄なマナーと言うか、風習があるじゃないですか?

 

 

49日法要とか、一周忌三周忌くらいならまだ許せるんですが、もうたっくさんありますよね?

 

 

○周期に△周期も□周期もすべて一緒にやることが可能とかさ

 

 

これもね、アホかと馬鹿かと。

 

 

49日くらいかな、霊的に意味あるのは。

 

 

お通夜はまぁ物理的医学的に意味あったんでしょうけど、昔は。息を吹き返すこともあったし。

 

 

あとの法要なんて、残された人が時々思い出すくらいでいいんですよ。手を合わせて。

 

 

戒名なんてのもいらんよ。死んだ人、あの世の理(ことわり)に戒名なんて意味ないでしょ。

 

 

死んでもなお、あの世に戒名とか「名もなき自分」を縛るものを持っていくわけ無いでしょwww

 

 

考えが現世的すぎ。

 

 

ああいうのも、昔のお坊さんが自分らで作り出したルールなんだろうなぁ って思う。

 

 

それを思い出した。マナー講師の話題で。

 

 

いろんなルールを新たに作って収入を増やす仕組みっていうかね。

 

 

似てるなぁ

 


くだらないよなーなんて思ってたら、こんな記事を見ました。

 

grapee.jp

マナー講師の「人と一緒の時は『頂戴いたします』が正しい」という指導に対し、コメンテーターとして出演する、雅楽演奏家東儀秀樹さんはこういいました。

    

皇室の方と関りがあって、よく交流があったりするんだけど、一緒に食べる時に「いただきます」ってみんないってるんですよ。

    「頂戴いたします」ってのは、あんまり聞いたことがないですね。

 


そうだろうなぁ。

なんていうかマナー講師、マナー講座自体は、ぼくも別にいいと思うんだけど、その仕事に愛がないと、こういうことになると思った。

 

 

毎年新たなマナーが作られて加わっていく、それに合理性が感じられない、そういうの、自分たちの首を締めかねないですゾ。

 

 

ぼくはそう思う。

 

 

企業もさ、しっかりしたマナー講師の講座を選んでほしいよね、大事な新人に受けさせるならさ。

 

 

んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 

 

ちゃお♪

何のために自分は生きてるんやろ

´ω`)ノ ども、週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 

 

今日は「何のために自分は生きてるんやろ」問題w

 

 

笑うとこじゃないけれど、しずちゃんの記事を見て、みんなツライときそういうの考えるんだなーって。

 

 

んで、答えなんてないんですが。(そんなん人それぞれ違う)

 

 

強いて言えば、

「自分がこれまで体験したこと、これから体験することを体験するために生きてる」

 

 

スピ的に言えば、

「自分なりの愛を表現するため」

 

 

ってことですな。

 

 

なので、そんなところ(愛)から遠いところにいるように見える人も、

 

 

それは突き詰めていけば

 

 

「愛を表現するために今は愛を学んでいる」

 

 

とか、そういう事になってしまうんですな。

 

 

でも愛ってなに????

 

 

ってなるよね?

 

 

一般的なパートナーへの愛や家族愛、博愛、いろいろありますが、そう言うの全部ひっくるめての愛です。

 

 

人類全てに注ぐ高尚な愛だけが愛じゃなくて、まぁいろいろですよ。

 

 

関わり合う人と協調していくことも愛だし、マザーテレサが言う隣人への思いやりとか、

 

 

困ってる人を助けることも、もちろんそうだし、

 

 

自分を大切にすることも愛です。

 

 

だから、自分を犠牲にして周りを助ける(ぜんぶやってあげる)のももちろん結構なことなんですが、

 

 

そればっかりじゃなくて、自分を犠牲にするほどではなく、自分も大切にしつつ、

 

 

周りで困ってる人に必要な知恵を教えて、その人が自立できるように助けることも愛の一形態だなとか、

 

 

そういうバランスを取っていくことを知ることも、愛の学びの一形態ですよ。

 

 

んで、しずちゃんの記事↓

news.yahoo.co.jp

 

――山崎さんにとって「ひとり時間」とはどんな時間ですか?

山崎静代: すごく必要な時間やな、と思っています。私はほぼ毎日ジョギングしているんですけど、走っていると頭が整理されたり、いろんな反省ができたり、モヤモヤがなくなるような気がします。

 

 


これって、わりと大切というか、瞑想で何も考えない(考えから離れる)のもいいですが、まぁ考えちゃう時でも、ジョギングと同じような効果が瞑想でもあるかと思った。

 

 

っていうか、ぼくは以前、毎日ジョギングしてたんですけれども、今思えば、ジョギングって、わりと瞑想状態に似てる感覚があって、似てたかも、って思いました。

 

 

登山とかもそうかも。

 


まぁそんなことをしずちゃんの記事を読んでふと思いました。

 

 

って言うか、この人わりとスピ気質だなーって思いました。

 

 

絵がね、すごくうまいんだよねAKIRAの絵とかパネェっスよ。

www.youtube.com

 

大好きな漫画がAKIRAってところがまたなんとも!( ̄ー ̄)

 

 

んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 

 

ちゃお♪

 

 

國光真耶さんとか

 

´ω`)ノ ども、週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 

 

とくに書くこともない。

 

 

こういう時はニュースで話題のネタを自分なりに思うところを書くw

 

 

ので、話題の小林麻耶さん

 

 

ずいぶんとスピな方みたいですね。

 

 

元?旦那さんもスピスピな方のご様子。

 

 

いや、よく知らんけど。

 

 

で、ぼくが思ったのは、

 

 

この人、海老蔵さんに執着しすぎ。

 

 

某、松居さんを思い出しました。

 

 

ちょっと妄想というか、思い込みがすぎる感じも怖いっス

これぐらいならまだかわいい↓(というかスピ女子にはよくある)

ameblo.jp

 

でもここまでいくと↓ちょっとなぁ

jin115.com

 

ま、海老蔵さんも良くないところはあるんだが、もともとそういう人だしなぁ

 

 

可愛さ余って憎さ百倍なのかな?

 

 

本当に憎いのかどうか知らんけど、粘着しすぎ。

 

 

 

粘着ってのは、そのベタベタして動きづらく自身をぎこちなくするところが、まさにカルマそのものなのでこれは良くないと思いましたよ。

 

 

あと、瞑想好きなのはいいのだけれども、なんかファッション瞑想的な感じがしてそれもどうかなと思うのだけれど、まぁ続けてもらいたいなと思います。

 

 

ただ、ちょっとメンヘラさんぽいところが感じられるし、過去も幸せでない感じもしなくもない↓

world-fusigi.net

 

 

島田氏ね、ぼくはあの人のオーラ、ホント合わないです。

 

 

まぁ芸能界ではそのくらいでちょうどいいのでしょうな。

 

 

とにかく、小林さんの人の縁が、ねぇ、自分で引き寄せるんでしょうけど、

 

 

もうちょっと、こう、せっかくスピにハマるなら、

カルマのようなドロドロした感じじゃなくて、

ダルマのようなサラサラな感じで学びをしたほうが幸せに学べると思うんですが、、、

(;´Д`)

 

 

まぁでも、どっちも学びは学びって守護さんは言うし、そのとおりなんでしょう。

 

 

修羅の道も貴重な体験ということですな。

 

 

自分のベタベタ(カルマ的なもの)に気づいたとき、ちょっと萎えそう

 

 

ただ、スピにハマってる分、ベロっと発想が転換したら転換も早いかもしれん。

そんなことはないか・・・

 

 

んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 

 

ちゃお♪

 

 

 

 

 

和を以て貴しと為す

 


´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 

 

さて、今日は里の行の一番の修行、人間関係。

 

 

会社でね、あるおばちゃんがさ、障がいのある人に辛くあたったわけ。

 

 

なんで何回言ってもできなの?何回も言わせないで、とかさ。

それをずーーーっとずーーーっと毎日毎日言ってたらしいんだけれども。

 

 

それでね、ある日、言われてる本人が仕事中に体調不良という理由で帰っちゃった。

 

 

で、それだけでなく、周りの女の子も「会社辞める」言い出して、それでおばちゃんの所業が発覚したんだけれどさ。

 

 

会社辞める言われて、よくよく話を聞いたら、おばちゃんが障がいがある人に、グチグチグチグチ辛く当たってたってのがわかったんだけれども、

 

 

それを女の子が、その嫌な場面を見てらんない、といって「辞める」言い出してね。

 

 

まぁそんな事があったわけです。

 

 

これね、ハラスメントなんだよな。

 

 

昭和の人ってピンとこないかもしれないけれど、できない人に「なんでできないんだ」ってグズグズいうのって立派なハラスメントなんだよ。

 

 

できないなら教えるしかないわけ。一回言ってもできないなら何回も教えるしかない。

そんで、障がいがある人ならなおさらだよね、毎日、ここはこうしてね、って何度も何度も言うしかない。

 

 

だって忘れるんだもの。仕方ない。

 

 

でもそうやって障がいのある人を社会的に支えないと。

 

 

だから健常者から見て、作業の能力が劣るように見える人は、それはもう織り込み済みで採用しなきゃならんのです。社会的にマトモな会社は。

(言っておきますが、人間として劣るというわけでは絶対にないのですゾ)

 

 

でも思うのだけれど、健常者だって忘れっぽい人はいるし、年を取ってきたらただでさえ目は悪くなるし、重労働だってできなくなるし、物忘れも多くなるよね?

 

 

それでそのことで何度も何度も威圧的に文句言われたらそれは言われてる人はもちろん、周りの人だって嫌な気分になる。

 

 

でもそういうハラスメントする人って、自覚がないんだよな。

 

 

文句言われるような人の、作業の出来なさはもう、会社としては織り込み済みなので、むしろ、チームの雰囲気を悪くするような人のほうが、ずっと悪いんだよ。

 

 

文句言ってる人は、自分のほうがよっぽど悪いという自覚がないわけ。

 


ぶっちゃけ

「あなたの言いたいことはわかる。でもあなたがやっていることは、彼らの10倍迷惑」と、こう言いたい。

 

 

まぁそれも良くないので、言いませんが。

 

 

コンコンと説明するしかないんだよね。文句言ってる人に対しても。

 

 

で、上司が朝礼でこう言ったの。

 

うちの会社はハラスメントは許しません 

 

って。

 

 

( ゚Д゚ノノ"☆パチパチパチパチ ( ̄0 ̄)/ オォー!!よく言った!ってぼくは思いました。

 

 

こういうことを、昭和あるいは平成では許されていたものを、もうそういう時代ではないってことで、意識を改めていくということは、とても大事なことだと思う。

 


和を以て貴しと為す

 

 

聖徳太子が十七条の憲法の、第一条に掲げた文ですな。

一般には、「日本書紀」が伝える聖徳太子の定めた十七条憲法の第一条としてよく知られています。しかし、これに先立って「礼記―儒行」に「礼は之和を以て貴しと為す」、「論語―学而」には「礼は之和を用って貴しと為す」とあります。なお、儒学の「和」は、名分を守り秩序を重んじる「礼」を行うにあたって、やわらぎ睦み合うことの重要性を説いたものですが、十七条憲法の「和」は、そうした儒学の「和」の概念を超えて仏教の和合の精神の大切さを説いたものとされています。 

和を以て貴しと為すとは - コトバンク

 

 

調和・協調性が重要ですと、そういう言葉です。

 


日本書紀自体の真偽性が定かではないですけれども、まぁこれが史実だと仮定すると、日本最古の憲法で、

聖徳太子がこれを第一条に持ってきたということは、当時の朝廷内で対立、いさかいがあったんでしょうな。

 


まぁ、人にはそれぞれ得意不得意や、ある作業について、能力の差ってのは出てきます。

 

 

それが人間ですから。

 

 

ちなみに魂にも差異はあります。

「皆一つの同じもの」と言っても、それは、たとえば太陽光が、プリズムでいろいろな色に分解できるように、神様も彩り豊かな、無限の可能性の集合体なんですな。

 

 

そして神という状態は、それが完璧に調和している状態なんですゾ

 

 

で、現世では、それら彩りが分離しているように錯覚された世界。

 

 

だからまぁ、この現世の人間界は、それ(調和)を学ぶゲームと思って、多少合わない人でもなんとか折り合いをつけて、やっていくのがぼくはいいと思うのです。

 

 

つまり、合わないなぁって人同士でも、衝突、争いという方向ではなく、まぁなんとかぶつからないように工夫するということも、大事な学びなんですな。

 

 

とは言え、まぁ現実世界では戦争もあるし、なかなか難しいのですけれど(人間なので)それについて努力してみるということは大切だなと思った次第。

 


んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 

 

ちゃお♪

それでも地球は回ってる


´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 


さて、今日は日本人の宗教好きと宗教嫌いについて。

 


日本人ってのは、基本的に信心深いと思う。

 


信心深いと言っても、狂信的ではない。

 


宗教性があるということ。

 


宗教性があると言っても、教えに従うとか、そういうことではなく、

 


スピリチュアリズムというか、霊的習慣というか、

 


だって、頭おかしい人じゃなければ、これって神様に失礼だよな…的な気持ちって、あるじゃないですか?

 


外国じゃ神殿を爆破したり、教会を襲撃したり、

 


そういうの普通ですよ?

 


日本ってそういうのないですよね。

 


いやたまにいますけど。頭おかしい人。

 


ぼくが小学校だか中学だかのとき、昭和天皇がなくなって、何故か当時住んでた近所の有名な神社が燃やされたっけなぁ。

 


天皇制反対とかそういう関係の人だと思うんだけど、

 


狐霊さんたちは怒っただろうねぇ。

 


全国の狐霊ネットワーク使って犯人探しただろうねぇ黒幕とか。

 


全く罰当たりな人たちだよ。

 


って気持ち、日本人なら普通にあると思うんだよね。

 


たとえ神道信じてなくとも。

 


神社やお寺を汚したりしたら罰当たる的な。

 


神さんはどこにでもいる的な。

 


霊は信じてなくとも、葬式は行って、故人が成仏してほしいなとか、あの世では楽しくしててほしいなとか、

 


普通の日本人って、そういうことを思うと思うんですよね。

 


だから、日本人って、外人さんが言うような宗教性なしの民族なんじゃなくって、

 


もう精神のベースとして、もしくは地域の場として、それがすっかり当たり前になっているというか、そういうことなんです。

 


こういうのって、世界的にみても良い文化なんですよ。

 


外国では信じなさい、信じないやつは処分。ですから。いやほんとに。(共産圏では信じるやつは処分、かなw)

 


んじゃここで、キリスト教が入ってきた当時のザビエルさんと日本人の会話
https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=164843

 

日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。

 

 

まぁ、盲信せずに考えられる日本人からしたら、そうききたくなるなぁって質問だよねw

 


で、キリスト教ってのは、キリスト教のゴッドを知らないまま死んだとしたら、地獄行きですからなぁ。

 


聡明な人間からしたら「そんなご無体な話があるか?」って普通に思うはず。

 


ちなみに、ソクラテスやら古代ギリシャの人たちは、キリスト教の教えでは地獄行き(地獄の底まではいかず、入口付近だけど)らしいですゾ 
なぜならキリスト教を知らないし、洗礼も受けてないから(苦笑)

 


とまぁそんな傲慢なシステムなのです、キリスト教の中世教会的な教えというのは。

 

 

そういう傲慢さって、日本仏教とか神道にもあるけどね。

 

 

ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。

この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。

 ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。

 

 

 

まぁどっちの言うこともわかるけどさ。

 

 

ただ、ぼくも昔、似たような質問されたことある。

 

 

「どうして神様は(守護さんは)私の望みを知っているのに、それをくれないの?」
「どうして神様は(守護さんは)こんな世界を作って私を放り込んで、私はこんな辛い思いしなきゃいけないの?」

 

 

って。

 


万能な神がこんなコトするはずないって?

 

 

いやいやするんですよ。これは成長を知らぬ神の成長というゲームですから。

 

 

神はあなたがラクしたいことを知っているけれども、
あなた以上に
あなたの奥底に流れる「成長したい!この愛を広げるゲームをもっともっと体験したい」という願望を知ってるわけですな。
そして、みごとそれを叶えているわけです。
あなたがそれを望むから。

 

ぼくがそれを望むから、ぼくがそれを自分で叶えているとも言える。

 

 

昔何度も言ったけど、ドSですよ神様僕らは。ドS=ドMですがw

 


でもまぁ、疲れるよね。

 

 

ぼくもね

 

 

ああ、地球に隕石が衝突して、地球上の生物が一瞬で蒸発したらいいのになぁ と、某プーチ○氏以上の恐ろしいことをボケーっと考えることありますもの。

 


まぁ、そういうことです。(どういうことだ)

 

 

それでも地球は回ってるし、私たちは死ぬまでは生きてこのゲームが終わるまではゲームを体験する義務があるんだな。

 

 

だからまぁ、死ぬまでは生きましょう。自分で生きるのをやめるのはダメよ。

 

 

それはゲームを設計した神さんであり守護さんであり自分自身を裏切ることになるやもしれんのでおすすめしません。

 

 

んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 


ちゃお♪

(一周して)適当にやったらええねん

 


´ω`)ノ ども、週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 

 

さて、3月で終わってしまった「おかずのクッキング」ですが、これ1974年から続いてたんですね。

 

 

仙台(東北も?)の人はなじみないと思いますけれども。

 

 

で、その土井善晴さんです。

 

 

この人の一周回って「なんでもええねん」的なところが、ぼくは好きです。

www.huffingtonpost.jp

https://www.huffingtonpost.jp/2017/03/23/yoshiharu-doi-ichijyu-issai-1_n_15561362.html

 

 

フランスから帰国した後、父の調理学校(土井勝料理学校)をちょっと手伝ったんですが、あるとき父から「善晴、この漬け物を盛ってみなさい」って言われたんです。それでいざやろうとしてみたら、目の前のきゅうりとかの奈良漬を、何を手立てに、どんな器に、どう盛り付ければいいのか、そういうことがまったくわからない自分に気づいた。もう脂汗がダラダラ流れてきてね、怖くなってしまった。

今だったら「適当に盛ったらええねん」って思いますけど、そのときの私は自由に盛るということが怖くてできなかったんです。自分は和食の世界のことを何も知らないし、できないんだ、ということにそのとき初めて気付かされました。

 

 


ただし、「『うちの嫁が』と言う男性には違和感しかない」というのはよくわからない。

「うちの嫁が~」という言葉に、見下している気持ちがあるとは、思えないんですが…。

なんというか、フェミニストたちの「言葉狩り」に近いような気がする。

そしてこの言葉をサイトの表題にしているあたりも、

ハフポストの思想が垣間見えてちょっとウンザリする。

それとも土井さんは「うちの嫁が」のあとに続く言葉に違和感を感じるのかな???

とにかく、これは土井さんがどこに違和感を感じているのかわかりづらいし、分かりづらいまま編集して、それをセンセーショナルな表題にして気持ちを煽ってるハフポストがいちばん悪い(わざと分かりづらくしてミスリードさせようとしてるのがミエミエ)。

マスコミって平気でこういう事するから嫌。

 

 

 

 


ま、話を戻すと、家庭料理は「何でもいい」とぼくは思う。

 

 

お弁当も、奥さまが作ってくれるんですけれども、ほぼ冷食でも全然よろしい。

 

 

でも、手作り品を最低一品入れてくれれば最高。→そしてそれは卵焼きです卵焼き最高

 

 

感謝ですよ。

 

 

今の時代は共働きが普通なので、弁当も自分で作るのかな。食事も夫妻の当番制とかでね。あるいは早く帰ってきたほうが~ とかね。

 

 

 

 

 


うちの奥さま、結婚当初、あまりにも箱入り娘だったので、全く料理できなかったんですけれども、

 

 

最初、完璧に料理しようとして、調味料を完璧に測ったりして、料理が出てくるまで1時間2時間かかってて、砂糖と塩間違うのもわりと頻繁にあったりして、

 

 

ぼくはサッと5分で料理できてしまうものだから、奥さまショックを受けて、

 

 

「料理なんて適当でいいから」「何回もやればうまくなるから」「とにかく途中で味見してくださいお願いします」

 

 

って言ったら10年くらいでもうかなり上手になりました。いやまじで。

 

 

今では子どもたちもママのお料理最高に美味しいと言われて、料理上手な奥さまです。

 

 

 

 


でもね、上手じゃなくていいんです。というのが土井さんの主張ですw

 

具だくさんの味噌汁と、漬物と、ご飯でOK。というのが土井さんの主張です。

 

 

 

 

まぁぼくは結婚当初奥さまに

「納豆」と、「目玉焼き」と「ご飯」があればそれでOK (納豆や目玉焼きの代わりに焼いた油揚げやサバ缶、チンしたウインナーでもOK)

って言ったんですけれども、

 

 

奥さまは料理教室通って、なにやら凝った料理習ってましたな。若い頃。

 

 

まぁ、意気込みがすごくて、かつ奥さま必死だったので、止めませんでしたが。

 

 

ぼくが料理するよって言うと、落ち込んじゃってたし。

 

 

若かったな。

 

 

 

いまでは

 

 

川* ̄▽ ̄) そんな事もあったねー(笑) って言ってますw

 

 

www.huffingtonpost.jphttps://www.huffingtonpost.jp/2017/03/23/yoshiharu-doi-ichijyu-issai-2_n_15561352.html

 

 

パスタにみそ汁はおかしいとか、イタリアンはこうあるべきだとか、そういうイデオロギーみたいなことは家の中に持ち込まなくていいんです。

うちのおじいちゃんは100歳くらいまで生きましたけど、ご飯に牛乳かけて食べてましたわ(笑)。家庭料理はそれくらい自由でいいんです。

 

 

 

 

そういうこと。

 

 

 

www.youtube.com


https://www.youtube.com/watch?v=nB2rRExqMds

この人の味噌汁、カオスなのにすごく美味しそう

 


ということで、最終回のおかずのクッキング本(最終巻)だけ購入しました。
一時期転売ヤーかなんかしらんけど、プレミア価格になってたんですけれど、増刷したのでまだ定価で買えるようになったっぽいのでオススメ 

www.amazon.co.jp

 

 

この人の料理は


・炊飯はそのサッと米を洗って早炊きモードで炊け。15分で美味しいご飯炊ける

・その間の15分で料理しましょう。

・簡単、適当でええねん。

 

ってところがいいね。

 

 


んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 

 


ちゃお♪