「とりまお茶でもどうぞ」

日頃思ったこととか

それでも地球は回ってる


´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 


さて、今日は日本人の宗教好きと宗教嫌いについて。

 


日本人ってのは、基本的に信心深いと思う。

 


信心深いと言っても、狂信的ではない。

 


宗教性があるということ。

 


宗教性があると言っても、教えに従うとか、そういうことではなく、

 


スピリチュアリズムというか、霊的習慣というか、

 


だって、頭おかしい人じゃなければ、これって神様に失礼だよな…的な気持ちって、あるじゃないですか?

 


外国じゃ神殿を爆破したり、教会を襲撃したり、

 


そういうの普通ですよ?

 


日本ってそういうのないですよね。

 


いやたまにいますけど。頭おかしい人。

 


ぼくが小学校だか中学だかのとき、昭和天皇がなくなって、何故か当時住んでた近所の有名な神社が燃やされたっけなぁ。

 


天皇制反対とかそういう関係の人だと思うんだけど、

 


狐霊さんたちは怒っただろうねぇ。

 


全国の狐霊ネットワーク使って犯人探しただろうねぇ黒幕とか。

 


全く罰当たりな人たちだよ。

 


って気持ち、日本人なら普通にあると思うんだよね。

 


たとえ神道信じてなくとも。

 


神社やお寺を汚したりしたら罰当たる的な。

 


神さんはどこにでもいる的な。

 


霊は信じてなくとも、葬式は行って、故人が成仏してほしいなとか、あの世では楽しくしててほしいなとか、

 


普通の日本人って、そういうことを思うと思うんですよね。

 


だから、日本人って、外人さんが言うような宗教性なしの民族なんじゃなくって、

 


もう精神のベースとして、もしくは地域の場として、それがすっかり当たり前になっているというか、そういうことなんです。

 


こういうのって、世界的にみても良い文化なんですよ。

 


外国では信じなさい、信じないやつは処分。ですから。いやほんとに。(共産圏では信じるやつは処分、かなw)

 


んじゃここで、キリスト教が入ってきた当時のザビエルさんと日本人の会話
https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=164843

 

日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。

 

 

まぁ、盲信せずに考えられる日本人からしたら、そうききたくなるなぁって質問だよねw

 


で、キリスト教ってのは、キリスト教のゴッドを知らないまま死んだとしたら、地獄行きですからなぁ。

 


聡明な人間からしたら「そんなご無体な話があるか?」って普通に思うはず。

 


ちなみに、ソクラテスやら古代ギリシャの人たちは、キリスト教の教えでは地獄行き(地獄の底まではいかず、入口付近だけど)らしいですゾ 
なぜならキリスト教を知らないし、洗礼も受けてないから(苦笑)

 


とまぁそんな傲慢なシステムなのです、キリスト教の中世教会的な教えというのは。

 

 

そういう傲慢さって、日本仏教とか神道にもあるけどね。

 

 

ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。

この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。

 ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。

 

 

 

まぁどっちの言うこともわかるけどさ。

 

 

ただ、ぼくも昔、似たような質問されたことある。

 

 

「どうして神様は(守護さんは)私の望みを知っているのに、それをくれないの?」
「どうして神様は(守護さんは)こんな世界を作って私を放り込んで、私はこんな辛い思いしなきゃいけないの?」

 

 

って。

 


万能な神がこんなコトするはずないって?

 

 

いやいやするんですよ。これは成長を知らぬ神の成長というゲームですから。

 

 

神はあなたがラクしたいことを知っているけれども、
あなた以上に
あなたの奥底に流れる「成長したい!この愛を広げるゲームをもっともっと体験したい」という願望を知ってるわけですな。
そして、みごとそれを叶えているわけです。
あなたがそれを望むから。

 

ぼくがそれを望むから、ぼくがそれを自分で叶えているとも言える。

 

 

昔何度も言ったけど、ドSですよ神様僕らは。ドS=ドMですがw

 


でもまぁ、疲れるよね。

 

 

ぼくもね

 

 

ああ、地球に隕石が衝突して、地球上の生物が一瞬で蒸発したらいいのになぁ と、某プーチ○氏以上の恐ろしいことをボケーっと考えることありますもの。

 


まぁ、そういうことです。(どういうことだ)

 

 

それでも地球は回ってるし、私たちは死ぬまでは生きてこのゲームが終わるまではゲームを体験する義務があるんだな。

 

 

だからまぁ、死ぬまでは生きましょう。自分で生きるのをやめるのはダメよ。

 

 

それはゲームを設計した神さんであり守護さんであり自分自身を裏切ることになるやもしれんのでおすすめしません。

 

 

んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 


ちゃお♪