「とりまお茶でもどうぞ」

日頃思ったこととか

なぜか今話題になってしまった大宮エリーw、「直感」を語る

 

´ω`)ノ ども、最近朝の瞑想が心地良いちゃお♪です。

 

瞑想なんてアヤシイ?

でもいいんです、気持ちいいので。座禅でもいいよ!

 

さて、最近にわかに(図らずも)話題の人に巻き込まれてしまった大宮エリーさんw (ぼくは前から好きですが)

 

 

 

ああ気の毒に。。。

 

 

 

いやマジで心からそう思う。

 

執着心旺盛な妄想型の戦士にターゲットロックオンされるのは、そりゃ大変迷惑だろうなぁ。

 

でもねぇ、失うものが何もない執着型の人ってある意味無敵だから。

 

闘争の先の目的のために戦うのではなく、闘争そのものが目的にいつの間にかなっちゃうんだよねぇ。

 

そういう輩の対応は、完全スルーが一番です。

 

 

「神様から罰せられます」ってヾ(`д´;)オイ

ぼくは霊能者wではないですが、大宮エリーとか、めっちゃ神さんに愛されているってぼくでもわかるけどなぁw

あとおぎやはぎの矢作さんなんかも愛されてると思う。今回関係ないけど。

 

 

「悪は滅びる」とか、正義の戦士ってどこの業界でもマジ怖いわー。

 

 

 

ええと、いや今回の記事はその話題ではなくw

 

 

 

今日はスピリチュアルっぽいことを書こうかなと。

 

いや、ぼくの話じゃなく、そう、大宮エリーの話ですwww

 

ええと、ぼくは昔、「直感」とか、そういう話題でブログ書いてたことがあったんだけれども、その時、
どうすれば直感が得られるか?「思考」と「直感」の違いって何?とか

そういう質問を何度も何度も受けたことがあるのだけれども、

 

直感ってそんなに人から縁遠いものなのかな?って思います。

 

フッっと湧くアイディアみたいなものだよね。

 

ぼくはそういうのはとてもとても大事にしていますよ。

 

んで、件の大宮エリーの話なんだけれども、この人は直感が全てなんだそうな。

 

いやぼくは直感が全てだとは思わない。

 

だけれども、大宮エリーが言いたいことはわかる。
(この人「直感が全て」と言いつつ、ちゃんと考えてんだよなw)

 

ぼくは自分の心の奥にあるもの(ハートとかいうやつ)が中心にあって、そこから湧き上がる(降りてくる)のが直感だと思うわけ。
(もちろんいろんなカミさん的な存在がくれることもあるんだけれども、こういう話をしだすと怪しい電波話になるw)

 

んで、それ(直感)を指針に、あとは理性を使いながら、生きればいいと思うの。

 

だから理性と、その機会的装置の演算であるところの「思考」ってのはとても大事な生きる上での道具だと思っている。

 

まぁそういうことは置いておいて、大宮エリーが話した「直感」について、なるほどこの人の創作・アイディアの源泉は完全に直感なんだなーって思ったので、みなさんも参考にしてみてね。

 

 

 直感はいつも正しいのだけれど、直感をうけて自分が選択した選択に、後からいろいろ理由をつけてあーだこーだ悩むってのもまた人間だと思うね。

でも、まぁ選択したら、とりあえずそれに向かって走って、走ってる最中にまた新たな展開と分岐点が出てきたら、またその時に考えればいいことだと思う。

周り道が結果的に最良の道だったりするし、そのように思えなくてもまぁ別にいいじゃないか、その経験もまた人生。

 

うだうだずっと後悔しちゃうのを、「後悔するな」って言うのはたぶん無理なので半分にしてみよう ってのはいいアドバイスだと思った。

たしかに悩むなっつったって、悩んでぐるぐるしちゃう人からしたら、そうしちゃうんだから仕方ないもんな。

 

さて次は、「直感」そのものをテーマに語っています。



直感は正しいけれど、濁ることがある ってのはその通り。

つまり、ぐるぐるしちゃったりする時だよね?

 

んで、大宮エリーは「そんな時はどうしたらいいんだろ?」って行ってますけど、そんなの簡単。

 

ぼくのおすすめは、瞑想とか座禅です。

 

でも大宮エリーのように「とりあえず右往左往する」でもいいと思う。回り道かもしれないけれど、とことん右往左往して、やれることをやり尽くすと、ある時悩み自体がボンッとショートして、無くなって、パーっと直感を遮る雲が晴れたりすることあるから。

 

 

まぁでも、瞑想とか座禅の方が早い気がするw

 

 

人によっては車の運転とか、ジョギングがいいって言う人もいる。

そういう人は、それをやっている時、ぐるぐるが晴れる禅の状態になってるんだよね。

別に思考がない状態ばかりでなく、思考が冴え渡ってると時とかね。

 

 

でもまぁ、「直感」って言うものがぜんぜんピンとこない人でも、それはそれでとても人間らしい、充実した人生を送ってると思う。

いろいろ悩んで思考の末に、自分の人生を歩むのだって、実に人間としての人生を謳歌していると、最近思うようになってきた。

 

いや、ぼくはもうそこには居れないけれど、そういうのも悪くないなって思う。

 

 

おしまい