´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪です。
もう3月ですね。
つい先日まで自営業していたのにあれやこれやともう既に自分のお店がないのはなんか不思議な感じです。
看板外す時もなんの感慨もなく。
こんなに感慨を抱かない自分にちょいと驚きでございます。
などという話を奥さまにしましたら、
川* ̄ー ̄) うん。なんか未練が全く感じられないもの。もうやりきった感しかないんでしょ?
ええそうです。
だから
Σ(゚Д゚) なんで???仕事変えるの?
って言われると、ちょっと困ってしまう自分がいる。
嫌で嫌でやめるのではなく、これがしたくてたまらない!とやめるのでもなく、
うん。そろそろ次やな。
という感じなので。
でもその’’なんとなく’’ってのがぼくにとっては重要でして。
飽きたからとか、何かに燃えてじゃなく、あえて言えば
柿の木に実った柿が、熟して自然に地面に落ちる
がごとく、それは自然にそうなり、
そして当たり前のように次の季節がやってくる、
そしてそれは柿の木に「諦めずに頑張って留まるべきもの」ではなく、
なんとなく思っていたことだったのだけれども、でも必ずそうなるたぐいのもの。
という感じでしょうか。上手く言えないけど。ニュアンスは伝わるかなw
こういうのはなんとなくの予感めいた感じでずっとぼくの中にあります。
例えば、前いた会社では、
「ぼくはずっとこの会社にはいないだろうな」と思っていたり、
自営業始めてからは、多くの人に「こうすれば儲かる。拡大すべき」とか「毎月安くない賃料をずっと払い続けるより、自宅兼店舗を早いとこ建てた方がいい」とか言われても、
全くミジンコの「ミ」の字もそんな気は起きなかったり。
やめる気はなかったけれども、捨てられないものを背負う気もないというかw
今背負うのは愛する家族だけで十分だったというか。
まぁそんな感じで感慨がなくて、「なるほどそうなったか」という感覚。
だけど自分で選択しちゃってる事実。
だからわりと不安とか心の激しい動きがないのだろうなと。今日のヨガ友との瞑想中に腑に落ちたことです。
まぁ、自営業になってから、いろいろと気づきが毎日怒涛のように自分に降り注いできて、守護さんにいろいろと教えてもらって(というか、繋がってダウンロードしてと言うか)、だからこんな心境なんだろうなと。
さて、最近はシンクロニシティというか、良くも悪くもピンポイントというか。
先日の引っ越し業者の件もそうなんですが、奥さまと「この日に引越ししようか」と考えていた日だけ、引越し業者の最後の空きがまさにその日で残っていたり、
(というかどなたかが確保してくれてたというか)
引っ越しするのに最後にこの人とだけは連絡とりたくないなぁ とふと(かなり久々に)思い出した人から、なぜか直後に久しぶりに連絡が届いたり(いや読む前に手が滑って即削除してしまい、もう2度と見られなくなってしまいましたが)
入社予定の企業との打ち合わせ日を採用担当の方から打診された時、ちょうど
「この日だけは友だちが送別会してくれるからこの日指定されると困るなぁ。いや三十数日ある中でその日を指定されることは無いと思うけど、万が一なったら困るよなぁ」
と思っていたまさにその日を打診されたりwww
(もちろん丁重にその日だけはごめんなさいさせていただき、先方も快く了解してくれてホッとしています)
うん。良くも悪くもピンポイントで引き寄せているwww
という事に気づいた今日の瞑想。というか座禅というか。
まぁいいか。
奥さまからは 川* ̄ー ̄)毎日明るい服を着るように! と言われております。
気が下がらないように だそうですw
奥さまからそんなあやしいことを言われるとは思わんかったよ(笑)
とりあえずあらかたのスケジュールは決まったので、ボチボチ自宅の引越し準備を勧めていこうと思っとります。
おしまい
ちゃお♪
や、先日の騒動の直後こんな記事を頻繁に目にして驚いた(@_@)
どなたか知らんが本当に感謝しておりまする。