「とりまお茶でもどうぞ」

日頃思ったこととか

「諦めない!」という選択が必ずしも「大事」とは限らない というお話

 

´ω`)ノども、週刊お茶どうのちゃお♪ですこんばんは。

 

 

今日は母の日らしいので(奥さま談)長男くんが米研いで、ぼくが晩飯作りましたよ。

ありあわせの材料で親子丼作ったら大好評で満足<( ̄^ ̄)>

 

 

さて、今週のコロナ。

 

昼休みとね、午後3時ころ、うちの会社では休憩なんですよ。

 

まぁコロナ対策で、早めし通常めし遅めし、早休憩通常休憩ってある程度バラけて休んでるんですけれども

 

んで、テレビ付いてるじゃないですか

 

見ちゃうじゃないですかw

 

するとね?

 

テレビってほんっといい加減というか、視聴者のためにどんな情報が良いのか?って観点で放送されているんじゃなくて、

 

テレビ局がどんな方向性に視聴者を意図的に誘導したいのか?って感じで番組作りされているんだなぁ って思うんですよね。

 

「検査検査!とにかく検査が大事!」って放送している局、ありますでしょう?

 

これね?検査が簡便で、精度が高いこと「前提」にテレビ局は話を進めているんですよね。

 

 

でも実際はそうじゃないです。

 

 

簡便なら、医療機関の負担にはならないし、かつ確度(判定精度)が高いなら、検査をバンバン増やしたほうがいいとぼくも思います。

 

 

でも実際はそうじゃないです。

 

 

そうじゃないのに、そうすべき!なぜ政府はそうしないんだ!と報道しまくっているのを見ると、

 

この人たち、都合の悪いことを(たぶん意図的に)伏せて、ただ単に政府を批判したいがためにそれを連呼しているだけじゃねーのかなぁ???

 

 

と、思わなくもないです。

 

 

実際そうなんだろうなと思ったのが以下のお医者さんのコメント

teamwada.net

「カットだけならまだいいのですが、僕がヨーロッパ帰りということで、欧州でのPCR検査は日本よりかなり多い(日本はかなり遅れている)といった論調のなかで僕のインタビュー映像が使用されて次のコメンテーターの方の映像に変わっていき、だからPCR検査を大至急増やすべきだ!というメッセージの一部として僕の映像が編集され真逆の意見として見えるように放送されてしまいとても悲しくなりました」

 

 

今日もね、お昼の番組見てたら、「PCR検査をもっともっと増やすべき」ってお医者さんのコメンテーターが発言している番組見てたんですけれども、

 

 

この時も「検査は100%正確に判定される」ってことが暗黙の了解で話してるんですよ。

 

 

お医者さんがですよ???

 

 

偽陽性偽陰性がないならその通り。医療機関検査機関に負担があまりないならその通り。

 

 

でもそうじゃないです。実際は。

 

 

偽陰性偽陽性が世界でも問題になってるの知ってるはずなんですよね。そのお医者さんだって。

 

 

アメリカ、イギリス、スペインやチェコでは輸入した検査キットがあまりに誤判定が多くて問題になってますし。

もうアメリカではこんな事になりつつあります

headlines.yahoo.co.jp

 

検査キットだけじゃなく、大学施設のPCR検査だって、誤判定あるのに。

 

 

現状を全く無視して、あるいは現状分析をまったくしないまま、とにかく検査を増やせって発言、こういうのも局から依頼されて発言しているんだろうなァ って思いながら見てました。

 

 

別にテレビ局御用達のお医者さんなら構わないんですけれども(いや構わなくないけれども)、視聴者は鵜呑みにしちゃうんだろうなァ って思うと、

 

 

実際の医療現場の方々や、そういった不安を駆り立てられる視聴者や、政府や現場の方々にはいい迷惑だろうなと、

 

 

 


ぼくは他人事のように見てしまいます。

 

 

 


何故か外国と比較して「日本はもう手遅れだ!」みたいな報道もありますけど、実際日本はよくやってると思うんです。

 

 

だって、ぼくが働いている業界なんて、外国ではね?

 

 

不況じゃなくて、そうじゃなくて、従業員が多数コロナに感染して労働力不足に陥って、倒産している企業もあるんです。

 

 

でも日本ではそんな話聞きません。ぼくが働いてる業界の話だけれども。

 

 

日本、政府も国民も、よく頑張って抑え込んでるとぼくは思うんですけれども。

 

 

ということで、『無責任な人たち』に、あんまり惑わされないようにね。

 


責任ある人たちは文句言うんじゃなくて、懸命に頑張ってる人が多いとぼくは思っています。

 

 


さて、今日の話題は

 

 

『「諦めない!」という選択が必ずしも「大事」とは限らない』

 

 

という話

 

 

先日ね、以下の記事を読んでちょっと自分の身に置き換えて考えてみました。

note.com

 


結局コロナの話しかよ! って言われそうですが、そうじゃなく。

 

 

いや、コロナの影響で、倒産や廃業に追い込まれている(あるいは危機迫っている)企業や個人事業主さん、たくさんあると思うんです。

 

 

切実に。

 

 

で、ぼくも個人事業主だったので、その気持がよく分かるわけです。

 

 

さて上記の記事を読んでね、

 

 

コロナを乗り越えてより強くなる経営者もたくさんいます。私の周りでは今だからできることをチャレンジし続けている人たちでいっぱいです。

 

 

 

 

うん、それはそう思う。

 

 

私は乗り越えられないと判断して廃業を選びました。

 

 

これ、こういう視点も大事 というか アリ。

 

 

「諦めない」と「諦める」って『等価』の選択肢だとぼくは思ってるんですよ。

 

 

日本人って『諦めない』ってのがすごく評価されがちじゃないですか?

 

 

でも、んなこたーない ってぼくは思います。

 

 

あと、

それと、私の決断が正当化されるような気がして気持ちが落ち着く一方で、コロナに負けてしまった感も強く感じるようになりました。

この決断が良かったかどうかは今はまだわかりません。
半年後、1年後、もしかしたら数年後に「あの時決断してよかった」と思うのかもしれません。おそらく、これからどのような行動をしていくかで、この決断が正しいものに変わっていくだのだと思います。

 

 


こういう感じ方って人生を上手に楽しむ上ではとても大切だと、ぼくは思いますね。

 

 

だって実際にそうだから、

 

 

上でも書いたけど「諦めないこと」って大切にされがちだけど、まぁそういう気持ちが大事な時もあるんだけど、

 


そういうことに固執するのは、ぼくは好きじゃないわけです。個人的に。

 


なぜかというと、人生ってのは『万事塞翁が馬』

 


それぞれの事象に我々の喜怒哀楽はあれども、それが正しいとか間違ってるとか、良いとか悪いとかじゃないわけです。

 


結局、どんな動機で、それを選択したか?って方が(どちらかといえば)大事かなぁ。愛とかそういうのですよ。

 


まぁぼくが廃業する時は愛とかじゃなく、「もういいかな?」感がすごくあったのと、

「次!」

って主護さんのアドバイスもあったので、なんの躊躇もなく転職したわけですが。

 

 

ですが、自分の仕事とお客さんに情熱がなかったわけでもないです。

むしろかなりあったし、「もったいない」とか言われたけど、まぁなんていうか、

固執はしませんでした。

 

 

「あ、次だな」って思ったので、廃業しました。

 

 

今思えば、

 

 

川* ̄ー ̄) 「今思えば絶妙な時期に転職したねぇ」

 

 

って奥さまは言いますが、たしかに後から思うと、この時しかないって言うくらい、

絶好の時期でしたな。

 

 

だからといってね?

 

 

うまく行かなかったとしても、それはそれでOK

 

 

つまり、転職せずに、個人事業を続けて、例えばコロナでやめざるを得ない状況に、仮になってたとしても、

 


やっぱり

『それはそれで、自分にとってはそれを通過するのが必要な経験なんだよな』

って、思うんですよね。

 


『万事塞翁が馬』なわけだけれど、

最後!、死ぬ直前とか死んだ後 は、あーぜーんぶ必要だったんだなー ってわかるわけです。

(じゃあ万事塞翁が馬じゃねーじゃねーかw)

 


ホントですよ。これ。 信じてくれなくてもいいですけど。

 


でも、死ぬ前や、死んだ後じゃなくて、人生の途中で気づいちゃった方が、

人生は随分ラクだと思う。

 


結局、何が言いたいかというと、表題の通りで

 


『諦めない!』という選択が必ずしも「大事」とは限らない 

ってことなんですけれども

 

 

別に諦めないことが大事なときもあれば、引き際が大事なときもあるし、

あまり焦ったり不安な状態ではなくて、冷静になって考えてみようってことと、

 

 


「冷静になって考えることが大事」って書いておいてなんですがw

 

 


何も考えず 心の深~く奥底にある、心とも言えないような領域に入ったときに感じるような、そんな「感覚だけ」とも言うべき、ぁゃιぃ状態を、ぼくは大切にしています。

 

 


みんながみんなに勧めてるわけじゃないです

 


でもすっごくいいよ?思考から離れての、深淵な感覚

 

 

余計なものが取り払われた、スの感覚だけが残る状態

 

 

分かりづらいかもしれんけど、毎日やってる人にはなんとなくわかってもらえるかもしれない。

 

 

というわけで、瞑想とか座禅とか、おすすめです。

 

 

自粛が叫ばれてるし、どうですか?暇なときでも。

 

 

言っておきますが、苦しさから逃れる方法をオススメしているわけじゃないです。

 

 

な~んだ、苦しさはただの苦しさなんだ、って感覚とか、「あっコレだな」って感覚とか、そういうのをぼくはとっても大切にしているってだけです。

 

 

まぁ、気持ちいいしね。

 


あと、言っておきますが、お金をかける必要もないですよ。

ちなみに宗教でもないですw 

禅宗に入れってことでもないですw だいいち『禅』は組織じゃないし)

 

 

んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 

 


ちゃお♪

 

 

 

 

 

 

あ、ウチの子供達には、ときどき

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アキラメロン

 

って言ってるなそう言えば。

 

 

なんて親だw