´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪です。おはこんばんちは。
さて、今日も書くことがないので、視野が広くなるということについて、などと言うことについて書こうかな。
過去に何度か書いたことあるけれど、
「こんな事勉強して将来なんの意味があるの?」
という中高生にありがちな質問について。
ぼくは大学時代、塾講師やら家庭教師して幾度となくこんな質問をされたのだけれど、そういうのって塾の先生に質問することか?と思わなくもない。
勉強が必要だから塾に来て勉強してるんでしょ?
と、言いたいところだが、たぶん親に塾にいけと言われて、塾に行く意味がわからずイヤイヤ来ているからそんな疑問が湧くのだろうなw
ぼくは親に、塾に行きたいのでお金出してもらえませんか?と
頼んで塾に行ってたので、そういう疑問はわかなかった。
いや、それは立派な人間になりたいからとか、いい学校に入って将来偉くなりたいとか、そういうことじゃないです。
単にいい成績を取りたかったからですw
あとは友だちと同じ塾に行って一緒に勉強できるのも楽しかったからですw
勉強の意味とかそういう深い考えがあったわけじゃなく。
なので、イヤイヤ塾に行かされて、
勉強する意味とは?
こんなの意味ある?
と考えること自体は、当時のぼくより深い疑問の入り口に立っていると言ってもいいかもしれない。
ま、ただ勉強がめんどくさいので、勉強しない言い訳を探していただけということも、大いにあるけれども。
ここで、「ぼくは将来役に立つかもしれんよ」「将来役立つことがいっぱいあるよ」などと、ありきたりの答えを言うわけだが、
そんな「役に立つかもしれない」という可能性の話で、こんな嫌な勉強をイヤイヤしなくちゃならない当時の生徒諸君はたまったもんじゃないかもしれません。
「まー役に立つかどうかは人それぞれ。役立たせようと思えばいくらでも役立たせることができる。その基礎を学んでるに過ぎない」
などとは言えんよねw
で、年を取れば取るほど、勉強の意味というものがわかってくるなぁと、最近思います。
なぜなら視野が広くなってくるので。
勉強することでも視野が広くなるし、経験を積むことでも視野が広くなる。
スピ体験でも視野がものすごく広くなるよね? そんなのと似ています。
中学生では、日常でも半径10メートル位の世界しかわからなかった、頑張っても半径20キロくらいの世界だったのが、
高校では、日常半径100-1000メートル、頑張って半径50キロくらいの世界になって、時間的にも1-2年先が見通せるようになってくる。
社会人になると、日常半径20キロ、頑張って半径300キロくらい?時間的にも頑張れば5年くらい先を考えられるようになる(人によっては)
ここまで来て初めて、「勉強する意味」というのがおぼろげにわかり始めて来るわけだ。
「あーこれを勉強しておけばよかった」
とか大人がよく言うアレであるw
でも、これも中学生諸君からは十分な答えではない。
例えば、機械工学を必要な大人が、もっと物理化学を勉強しておけばよかったと言っても、
「あなたにとってはそうですが、んじゃあなたは世界史とか因数分解とか古文とか漢文とか今役に立ってないよね?」
と言われればそういうことですw
だから、中学高校の勉強などというのは、基礎中の基礎なんですな。
とりあえず、イロハのイ、あるいはロくらいまでの話。
それだって、例えば因数分解とか古文なんてわりと人生を豊かにするのに役立つんだけどね。
でも中学生じゃ、それはわからんよね。
大人だって、無意識にそういう知識を使ってるわけで、あまり意識はしないものだから。
で、
年を取ってくると、勉強する意味というのはだんだんわかってくるんですよ。
世界を捉えるいろんな見方ができるようになるわけです。
選択肢も増えるわけですな。
未来をある程度予測できるようにもなるわけです。スピ的な意味じゃなく、思考という意味で。
中学ではせいぜい1週間先くらいまでの見通しが、5年先、10年先とかね、そのくらい先まで何となく見通せるわけですな。
さて、スピでの「今しかない」「過去も未来もない、今ここが大事」という話。
それはそうです。
でも、この時間軸の世界に我々はこうしているのでね。過去に学び、未来を見通して、想像していくのもまぁ、これは一つの
「まっとうな現世の楽しみの一つ」
でもあるわけだ。
貯金がなくとも、健康保険に入ってなくても、年金払わなくても、必要なものは入ってくる!ってのは、それはそれでドウゾご自由に なんですが、
わりと迷惑な人だよね、そういうの。自分の中で完結して、人に迷惑かけないならいいけどさ。
そうではなくて、このゲームを楽しむなら、過去から学んだり、未来を見通したり、その過去のデータをもう一度疑ってみたり、その自分の予測も完全なものじゃないと改めて認識したリ、
そういう一切合財を含めて、現世は祝福なのですな。
で、「勉強する意味」ですが、中学高校、あるいは大学でお勉強することで、手数(てかず)が増えて、人生楽しくなるデータをたくさん吸収できる時期なわけです。
勉強自体の体験もね。
幼稚園児みたいに、今しか見えないで将来も生きるよりかは、
大人のように、ある程度先まで予測できる(そしてその予測も完全ではないことを自分でわかっている)
ほうが、現世を楽しみやすいだろうと、ぼくは思うわけですな。
今が大事!と言って、Tシャツに水筒と菓子パンで富士山登山に行くバカがいますが、迷惑だよねそういうの。富士登山するならある程度勉強しろって。
まともな大人はそういうことしません。(幼稚園児なら許されます)
逆に幼稚園児は今しか見えないので、用水路に落ちないか、お風呂で溺れないか大人が見てあげないといけません。
更にいうなら、
過去も未来も、この世の物理的法則も、人文学的ないろいろなロマンを楽しめる知識もわかりつつ、それでいて今を楽しむ
というのが最高にオツな楽しみ方かもしれませんゾ。
とまぁ、色々書いたけど、そんなの人それぞれだし、イヤイヤ勉強するくらいなら、嫌なものはソコソコにとどめておいて(赤点取るか取らないかにしておいてw)
興味湧いたものをどんどん勉強すべし! とぼくは思う。
人によっては「ダイオードの機序」であるかもしれないし、
人によっては「清少納言の当時の政治的背景と言葉遣い」かもしれない
なんだっていいんです。もし興味が湧いたなら。
で、勉強なんて、全部興味なし、なんて人は、全部ソコソコで勉強して、興味が湧いたものが出てきたらそれを勉強すれば良し。
30になっても40になっても50になっても遅くないですぞ、ウチの死んだじいちゃんは70 80まで勉強してましたから。
歳を理由に勉強しない人は、若いときもあれこれ理由づけして勉強しなかった人なので、来世でも勉強しない人だと思うので、そういう人は経験で自分の好きなことを体験したらいいんじゃないかな?
「アイツ、何度も同じ失敗するんだよな・・・」
と他人からは思われるかもしれませんが、まぁ、クビにならない程度なら必要とされているのでそれも良しということで。
さて、スピにハマると、経験なしに、10キロ先のことが鋭敏に感じられたり、将来が感じられたりする人もいるんだけど、
それはそれで、この制約の厳しいゲームでそれを体験する というチートな楽しみが体験できるという点で、それもアリですな。
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪