「とりまお茶でもどうぞ」

日頃思ったこととか

現実の空、プラーナに満ちた空、どっちもいい

 

´ω`)ノ ども、週刊おちゃどうのちゃお♪ですおはこんばんちは。

 

 

さて前回プラーナについて書きましたけれども。

 

 

書いた後に思い出したのが、

 

 

前はヨガ教室の後なんか、よく空がピンク色というかピンク紫に見えるくらいな時が割とあったんですよそう言えば。

 

 

あったが、今は意識するとプラーナが見えるくらいです。

 

 


ということはですね。

 

 

エネルギーの見え方はですね、空とかプラーナの状態よりも、自分のスピチャンネルの調律というかチューニングのほうが大きいのだろうね。 と思う。

 

 

空(そら)とか空間のエネルギーの状態よりかは、自分のメガネ(チューニング)の状態のほうが大きいんじゃね?といった感じです。

 

 


ヨガ仲間とすんごい怪しげなパワー空間でまったりヨガをずっとやった後では、そりゃ自分のチューニング(要するにチャネリングw)もスピ側にかなりチューナーがよっていてもおかしくないなと思う今日このごろ。

 

 


今はガッツリ里の行に埋没しているので、ふと(たまに)気がついたときだけ、見える感じ。

 

 


そうねぇ、普段テレビ見てて、テレビの内容に夢中になってて、ふと意識を向けたときだけ、あるいはテレビ消したときだけ、液晶の存在を思い出すみたいに。

 

 

みんなテレビ見てるとき、液晶のことなんて忘れているでしょう?

液晶の光の点滅なんて意識してテレビ見てないでしょう?

 

 


テレビなら、テレビ消せば液晶の存在がすぐ確認できるけれども、エネルギーはそうじゃない。

 

 


なぜなら僕らはこの世界のゲームに生まれ落ちてしまっているから。

 

 

 

だからぼくは瞑想してます。

 

 


毎日瞑想しているときは、テレビを消した状態にかなり近くなっていると思う。

 

 


でもそうじゃない場合、普通は死ぬまでテレビを消した状態にはならんのじゃないかと、ふとそう思った次第。

 

 

 

だがそれがいい  

それもいい  というべきか

 

 

というつやで、ぼくらはゲームを満喫するために、ゲーム世界に生じては滅する色彩の存在なのだから、ゲーム世界に生じたら、そこで経験を満喫すればよいのだと思う

 

 

 

現実の空もすっごくきれい

プラーナに満ちた空もすっごくきれい

どっちでもいいんですw

だってぼくらはどちらにも包まれた状態なんだから、全員

 

 

 

しかしながら、この世界で学ぶべきこと(色彩としてより光を広がらせるあるいは発光させる道)としては、一歩引いた視点、つまりゲームに埋没したドラクエで言えば勇者としての視点だけでなく、

 

 


これがゲームであることを知っている視点、ドラクエで言えばコントローラーを握ってるプレイヤーの視点があるといいよね?とはどこぞのスピ指導者の意見で、ぼくもそう思う。

 

 

ドラクエをプログラミングする視点=クリエイターの視点である必要はないとぼくは思う。それはつまり守護さんの視点(あるいは神さんのしてとも言うべきか)

 

 

 

クリエイター視点は置いておいて、プレイヤー視点という、一歩俯瞰的な視座を作る意味では、瞑想とか座禅ってのはすごくいいのですゾ

 

 

 

まぁヨガでもいいんですけれどもね。

 

 


ただ、スピ仲間とヨガしてるときって、どちらかというと「空(くう)」の視点っていうよりかは、「天界」の視点になりがちだったなぁ と今思い出したりしました(笑)

 

 

 

スピ仲間がちょっと上にズレてる人達が多かったからかなと。

それはそれで楽しいのですけどねw

 

 

 

まぁ、空を眺めながら、ふとそんなことを思いました。

 

 

 

んじゃ( *`- ω -´)ノシ

 

 

 

ちゃお♪