´ω`)ノ ども、週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。
相変わらず書くこともないんですが、どうしようw
今日、休みで暇な時間に、ステレオグラム3D画像を見て楽しんでおったのですが、
3D画像とか3D動画って、見るのにコツが要りますよね。
ちょっとぼんやりした状態にして、対象を分離させる(目で見た映像が2つに分かれる)
↓
2つ並んでる3D画像(3D動画)は2つに分離することで4枚に分かれるはず
↓
真ん中の2枚を重ねると真ん中の映像が3Dに
って感じで楽しむわけですが、ウチの奥さまはまっっっっっったく分からん(見えない)そうです。
ただぼくも、これとか全然3Dに見えない・・・
でも見えるやつはバッチリ3Dに見えるので面白いよね。
↓これとか
↓これとか
で、これ見てて思った。
あ、これ、空間に満ちているエネルギー見るときに似てるな って。
ぼくらって、普段、エネルギーって見えてないですよね?
いや、物質もエネルギーではありますが(笑)
E=mc2なので、物質はエネルギーそのもの と数式的には語られますので。
そうじゃなくて、目でエネルギーって見えないじゃないですか。
でもちょっと意識して(思い出して)、意識をこれまでのチャンネルからずらして、視界を戻すとね
エネルギー、視える人は視えますでしょう?
光のツブツブっていうか、
アナログテレビの砂嵐みたいな光の充満というか、
顕微鏡で精液見た時の元気な精子みたいな(笑)
ヨガな人はプラーナって言うみたいです。
それって、普段ももちろん宇宙に充満しているわけです。
でも普段は我々、全然気づかない。(もしくは忘れてる)
だけど、ちょっと意識をずらしてみると、視えてくる。
ステレオグラム3D画像を見るときって、そんな感じだなーーーって思いました。
ちょっと、ずらす感じが。
あ、そういえば。
ふと思い出して意識をずらすという感じでいうと、
我々の人生もそうですゾ
我々の人生は、我々が体験しているストーリーが人生そのものと勘違いしがちですよね。
でも、ちょっと意識をずらすと(我にかえると)、それは映画館のスクリーンに写っている3D映画みたいなもので、
実は映画館でそのスクリーンに映し出されている光(プロジェクターからの光)を人生と勘違いしているということに気づくわけですな。
当然、物質も光もエネルギーで出来てるわけですけれども
(プロジェクターからの光だからね)
実際は映画館のスクリーンがあって、それはただの白いシートなわけですな
それを見ている意識はあるわけで、それが神さんから分かれた分神なわけですゾ
ちょっと怪しい話になりましたなw
3D画像とか3D動画ってブワッって見えたとき おおおおおおおお って驚くじゃないですか?
その時の目のずらし方が何となく、
プラーナ見る時の意識のずらし方に似てるなって、
ただそれだけの話しでした。
んで、ぼくらの人生は映画館のスクリーンに映し出された光(エネルギー)の残像みたいなもので、
ときどき、(実は)真っ白なスクリーンに、ふと意識をずらすのもいいものですよと。
そう言いたい。
瞑想とかね、座禅とか、いいと思います。
ストーリーから離れて、ただスクリーンと相対している時間、
絶対つまんないと思うでしょうけれど、実はすごく魂にとっては健全な時間なんですぞ。
こういうの、わかってくれる人少ないですが、
ぼくは、毎日瞑想か座禅をしております。
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪
;