´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪です。
ネット見てて「自己肯定感ってどうやったらつくの」って話を見かけてね。
懐かしいなぁ、こういう話題。
こういうのって、人として必ずあるマインドの病なんですよね。
マインドってのは病がつきものです。
マインド自体はこの人生ゲームに必要なものです。
いえ、今生のこの現世だけでなく、死んだ後もマインドはある。
すぐ上の世界とか。神さんたちのお手伝いの世界とか、神さんの世界とか。
なぜなら死んでずっと完全にすべてに溶けているわけじゃなくて、段階段階(それぞれの層)で個性は残るからね(人によって違うだろうけれども)。
それぞれの層はあれども、しかしこの世は別格で、あの世とのつながり感がかなり薄くなっております。
だからこそあの世を認識できない人が殆どで、だがそれがいいわけ。
あの世と断絶(しているように見える)この世界の、この現世だからこそ、この人生ゲーム(学んだりいろいろ味わったり)を心から(それこそ全身全霊で)楽しむことができるわけです。
だからマインドって必要。この世を生きる装置として。
そして分離感を作るゲームとして、マインドがないとね。このゲームは成立しない。
しかしながらマインドって、
分離感→他人との比較→優越感やら劣等感や他人からの評価とかそういう関係性
が必ずついてまわるものです。
病つき意識スーツ(⇔肉体はボディスーツ)みたいなw
なので、
「自己肯定感ってどうやったらつくの」
裏を返せば
「自己否定感をなくしたい」
って悩みはね、完全にはなくなりません。
マインドがある限り。
でも、自分で言うのも何だけど、ぼくはわりと、自己肯定感ってある方だと思う。
自己否定も、あるけれど、そんなにひどくないと思う。
「やればできる子」だと思ってるw
起きてくること起きてくること
「まぁ、俺ならできるw」
と思っている。
実際に、自分でどうしようもないことは起こらない。
そういうゲームだから、
で、自己肯定感をつけるには、自己否定を極力なくしていくのが手っ取り早いと思います。
自己肯定感とか自己否定とか、そう言うこと自体、ぼくは発想をほとんどしない。
考えると、「自己肯定感あるかも」って思うけれども、日頃、自己肯定とか自己否定とか、全然考えないもの。
自己肯定感を求める人って、おそらく自己否定が強いのでしょう。
これって、「魂の経験の履歴」が大きいと思う。
過去生とか、幼少期とかね。トラウマとかそういう魂に刻まれた傷。思いグセ。
やっぱり親との関係が一番大きいかと思う。
それをイッパツで直せればいいのだけれどね、そんなのは過去生を思い出させたり、幼少期を思い出させたり、スピヒーリングとかになるわけで、そういうのに手を出すとまぁ、9割5分くらいは金づるにされちゃうと思うので、
まずは否定を無くしていくことから始めましょう。
否定を手放していけば、肯定もなくなってスッキリしますよ(そんなん考えなくなりますw)
「ま、こういうこともあるさ」
「ま、なんとかなっペ」
の精神で行きましょう。
物事に対して、努力はする。だけど、結果は「ま、こういうこともあるさ」「なんとかなっぺ」ということで。
おすすめはね、瞑想、座禅です。
毎日10分くらいはしましょう。
できれば朝晩の2回。
何も考えない時間、判断から離れる時間。
何かを考えてしまってもまぁそれでもいいじゃないですか。
なにか浮かんできても、その考えをできれば眺める感じで、雲が流れるがごとく眺めてればいいのです。
そういう時間が瞑想であり、座禅の時間です。
意味ない! ってお思いになるかもしれないけれど、これがすごくいい。
意味ない時間を持つってのは、魂にとってすごくいいんです。
意識的に、マインドから離れる時間ですから。
是非オススメ。
だけど、どうしても方法から入ってしまう人は、
「否定を消していくといい」です。
俺はダメだ じゃなくて これをできるにはどうしたらいいかな?やってみよう!
まぁできるさ、「なんとかなっぺ」
の精神で。
否定を消すと、肯定も消えちゃうんですけれどもww
最後に残るのは
「あるがままでいいんだ」
ってのが残ります。それは成長を否定するとか、怠惰なままでいいとか、人に迷惑をかけていいとか
そういうことじゃなく。
否定も肯定も消して、自分なりに愛(というか存在のうねり)を発揮する(妨げない)
ってことなんです。マインドはその道具ですわ。
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪
PS.「自己肯定感をつけたい」って課題で、もうひとつ簡単な方法があります。
それは
「諦める」
ってことかな(笑)
そんなんお手軽にヒーリングで治るかいw