「とりまお茶でもどうぞ」

日頃思ったこととか

ぼくの苦手なことを告白しよう


ども´ω`)ノ 今日は久々に仙台のヨガ教室に参加してきましたよ。

久々のヨガは、筋肉痛というか、肉体労働しているからには若干きつめでしたけど、筋肉を伸ばしまくって、心地よいキツさでした。
休みが取れたらまた参加します。

さて、そして午後にはヨガ友たちとのランチ会に参加してきました。

やー楽しかったです。

 

ささ、そこでS姐さんが持ってきたスピカード(数多くの種類があるものですな!)を引きました。

スピなんちゃらヒーリングなんちゃらカード(名前を殆ど覚えていないwww)って、名前もろくすっぽ覚えてないのですが、
メッセージカードを引くわけです。

質問の原因と解決方法をそれぞれ2つのカードの束から引くってやつです。

潜在意識が教えてくれるってやつですね。


ぼくはこういうのは実はわりと信じます。


守護さん(ぼくの中の深い意識状態)が必要なカードを引いてくれてアドバイスをしてくれるって普通に思っているので。

ちなみに神社のおみくじなども、同様に信じてます。信じるっていうか、大切なアドバイスって感じで普通に受け入れる感じ。

霊能者やら聖者からのアドバイスとかよりも実は信頼度は高いです。ぼくの中ではw
これまでも、スピ友が持ってきてくれた様々なカード引いたけど、ほぼすべてドンピシャのアドバイスだったので。

カードそのもののパワーを信じると言うよりかは、

「守護さん(ぼくの深いところの意識)が必要なカードを示してくれるということ」

について信頼している感じですね。

 

でも信じてない人にとっては中二な電波カードアイテムなんだろうな。もちろんそのように認識してればその程度のカードになっちゃいますよねこういうのは。


「お前がそう思うんならそうなんだろうお前の中では」


というやつですw

 


さて、それを引いたわけですが、こんなん出ました。

 

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いやー耳が痛い。もとい目が痛いw


ぼくの質問は、人にまみれて里の行をすることに関する、心の何処かにいつも漂う不安や焦りについてなのです。

 

 

そう、ぼくは物欲も特に無いし、奥さんがいてくれればそれで満たされるわけです。
幽霊やらなんやらなどというのは、特に怖くありません。
暗闇も、臭いのも、きつい仕事も、汚い仕事も特に不満はないです。

好きじゃないけど苦でもない感じ。

いやむしろ、泥と汗にまみれたほうが、生きている! 命を体験している!!! って気持ちになって充実すらします。

 

 

しかしやっぱ一番警戒しているのがなんですね。

人っていうか、人の悪意というものです。

 


ぼくはそれについて昔から興味というか、心の何処かでそれについて時々思い巡らさずにはいられないのです。

 


転職を考えた時も、介護なども一瞬考えたのですが、

 

 


「自分の父や母、それ以上のたくさんの人生経験を積んだハズの被介護者の方が、介護ではたらく人に対して、無茶な要求やクレーム、わがままや意地悪をするなんて言うことに直面したら、おそらく冷静ではいられまい(ボケているならともかく)」

 

 


とすぐに候補からは外れました。
それくらい人に対しては警戒しているところがあるのです。

 


だからこそ、ぼくは純粋なヨガ友たちが大好きだし、奥さまも心の底から好きなのです。全く警戒する必要がないから。

 


でも世の中にはそんな人はそれほど多くはないんじゃないかと思っているフシがぼくにはあります。
お店でも官庁でもクレーマーって多いですし、会社で偉い立場なんだろうなって感じの年の方が、理不尽なクレームを若い従業員にしているのを目撃すると本当に嫌な気持ちになります。

「お前は どうして そんな年の取り方を してしまったのだ ???」

ってね。

若いうちはまぁ、世間知らずだし、経験も少ないので 「若いなぁ」って生暖かく見守れるんですけれども。

 

 

さて、そんな人に対する一抹の不信感、警戒感をですね、このカードを引いた瞬間にがつ---んと思い知らされましたよ。

 

 

「分離感」

 


というカード。

 


その解説には、あなたは神と分離しているわけではないのですうんちゃらかんちゃら書いてありましたけど、そのカードを見た瞬間、どどーんと。ガツーンと。

 

そう。ぼくは、ぼくと神との分離は少しも心配していないんです。
そりゃーーー思考と感情で一時的に途切れることはあっても、まぁ瞑想すればすぐに思い出せるたぐいのもんです。

 

そうじゃなく、みんなが繋がっているはずの一体にものであるにもかかわらず、

 

 

どうしてそんなに分離しまくっているのだろう?
どうしてそんなに理解し合えないのだろう?
どうしてそんなに悪意をもって人に接せられるのだろう?

 

 

そうなんです。分離している人に対する恐怖があるんだろうと思います。

 


自分はいいんです。いくらでも修行できる。神さんだって見守ってくれている。無限の愛でね。
神との分離を心配するのはまったくないんですが、分離している(あるいは繋がっている)ことにすら全く気づかずに悪意を持って接してくる人が一番恐ろしいと感じているし、
実際そこにぼくは一番不安をもっているのかもしれません。

 


ぼくがそれを抱えている限り、ぼくの里の行のネタはそこにあるのも分かっているんです。


人からいわれなき攻撃を受けるかもしれない。
人から裏切られるかもしれない。
人から悪意を向けられるかもしれない。


そういうものを、ぼくはどうしても苦手なんですね。
人の悪口ばっかりずっと言ってる人も、どうにも苦手です。
茶目っ気で悪口とかそういうレベルじゃなく、もうずっと攻撃的に悪口を言ってる人なんかはどうしても苦手なんです。
や、ぼくも茶目っ気で悪口言うけどさw
そんなに嫌いなら離れて手放せばいいのに・・・ って思ってしまう。

そんなに相手を貶めて、実は自分も貶めていることにどうして気づかないんだろう・・・って悲しくなります。


まぁいいや。

 

ぼくは神と繋がっていることは疑いようのない事実だし、何も心配するところはないんですが、ぼくと他の人だって同じもので、(仏教的に言えば)縁で繋がっているし、スピ的に言えば神を通してコードで繋がってるわけだけれども、他の人に関してはなかなか信用しきれないわけです。
ぼくはそこがまだまだ修行が足りないのかもしれないし、なにかトラウマがあるのかもしれないとは思っています。

 

 

 

そして肉体として分離している(ように見える)世界に、こうしてぼくが現れた以上、そこでまっとうする責任を必要以上に感じて不安も漂わせることになってしまっているわけですな。

 

 


や、ホントこの世界はよくできてます。

 

 


自分がストイックに頑張ってもどうしようもないことが里の行には多すぎるから。
うん。
自分一人で頑張り、自分がその責任をすべて負うのは、実はぼくにとってはぜんぜん楽ちんなんです。
ハッキリ言って千日回峰行やれって言われたほうが、ぼくはプレッシャーが少ない。
やれると思うし。
里の行よりかはラクだと思うわ。

「智に働けば角が立つ、情に棹(さお)させば流される、意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。」

まったくもってそのとおり。いやそれ以上。メンドクセ。
山にこもって荒行してほうがよっぽど楽だよ。ぼくにとっては。

 


さて、だからこそ、ヨガ友といるときや、奥さまといる時は安心しきっていられるわけなんですね。
だって繋がってるもの。分離してないもの。みんな。

 

 


チクショウこれは大した課題だぜw

 

 


さて、その解決ヒントは


「涙」


ってカードでした。
我慢せずに体の反応に対しても、あるがままに正直に受け入れろという感じ。
そして人に対しても涙を見せていいんだよと。

 

なるほど難しいw

 

頑張って修行するほうが簡単だわいw
まぁ奥さまには正直でいられるかな。ソコは。
だからぼくは奥さまが世界一大好きなんだね。

 

ああ、しかし洞窟に篭って修行したいよw

 

 

 んじゃノシ

 

 

ちゃお♪