´ω`)ノ ども。週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。
(・∀・)イイネ!! 涼しくてすごくイイネ!!
さて、ウチの奥さま、半年とか一年ごとに、ごくごくたまーにモノッソ不安にかられるのですが、
それが3人目妊娠した時からということで、5年前に病院に行ってみてもらったんですよね。
で、その時に薬を処方してもらったんですけれども、症状が半年とか一年とかごくごくたまにしか起きないので、
その時に処方してもらった薬を飲んでたわけです。
5年経って、その薬も尽きかけてきたので(とおの昔に消費期限は切れていたでしょうがw)、
薬を手に入れようと思ったら、
この数年でこの手の薬の入手はお手軽にできなくなっておりました。
(依存症に陥る人が多いんだろうな)
ということで、わざわざ仙台に行くのもなんだし、コロナで仙台の病院も,できるだけ無理してまできてくれるな と言う感じらしいし、
現在の住まいの近くでそんな病院を調べて行ってきたんです。
んでその付き添いにぼくも行ったわけですが、奥さまいわく、
川* ̄ー ̄) どうしてこんなのなっちゃうんだろう?完全に治らないのかな?
薬を飲み続けなきゃいけないのかな(´Д`川ハァ…
なんて落ち込んでいる。
もうずっとそんなことばかりで落ち込んでる。
薬を飲み続けるとかそういうのも嫌らしい。
(ヾノ・∀・`) いやいや、奥さまは薬を毛嫌いしてそのことを気に病んでいるけれども、
俺なんてここ数十年、毎日喘息の薬を吸っているけれどまっっっったく気にしない。
薬吸ってれば問題なく生活できるのならそんなのどうでもいい、なんでもないことのように思えるよ。
奥さまは風邪引いても、頭痛がしても、腰が痛くても、不安症に陥っても、極限まで薬飲むのを我慢するけど
その気持が全然わからない。
ぼくは痛み止め飲むのも、風邪薬飲むのも、喘息の薬飲むのもなんの躊躇もないし、
薬を飲み続けることになんの絶望もない。希望もないけどw
つまり、どうでもいい。
そんな事で気に病むよりも、薬がある時代に生まれたのだから、それでいいじゃんという感じ。
んで、定期的にそういう症状が出ると言って、これも絶望する必要ない。そんなの薬飲めば治まるんだから。
でだ、完治させたいとか、そういうことに固執しているようだけれども、
それも手放したほうがいいよ。
そういうのは「共存していく」って思ってたほうが気が楽。
完治させるためにアクセクしたり、気に病んだりするより、そんなもんハナっから諦めて、気にせんほうがいい。
俺なんて喘息ともう30年以上付き合ってるけど、完治なんてしねーし、したいと思うこともねーし、薬吸ってりゃ発作おきねーし
今は高性能のマスクがあるので人の1000倍埃っぽいところで仕事してても問題なく仕事できる。
つまり、喘息とかどーでもいい と、思ってすらもいない
なんとも思ってない。
というのが、たぶん守護さんの言う「手放す」ってことなんだろうなぁ
こんなの、不幸のタネにしようと執着したら、そりゃ人生の大きな乗り越えるべき課題になるんだろうなぁ。
なので、奥さまもあんまり完治とかこだわらず、薬のみながらテキトーに付き合っていくぐらいの気持ちでいいんじゃね?
なんて話をしてました。
だってさ、この原因って、今生だけじゃなくて、たぶん過去生もあるわけだし、
まー、たぶんじゃなくて絶対なんだろう。
みなさまも、なにかに執着しているとき、ほんとにそれは執着するに足る価値のあるものなんだろうか?
とか考えてみるといいと思います。
そして「どーしよーもないこと」にこだわり続けるのもまた、人生疲れますよ。
奥さまはサプリも嫌がるんですがw
ぼくは日の体調によってB-1、チョコラBB、栄養ドリンク、食物繊維、ニガリとか飲みますw
薬もサプリも要は使いようだとぼくは思うね。
ぼくは思う。
完璧な体と完璧な精神の人間なんていない。
そんなものは、もはや人間じゃない。
完璧でないことを悔やむより、人生に支障にならない程度に科学を利用して人生楽しんだほうがいい
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪