神とか願いとか。
´ω`)ノ ども週刊お茶どうのちゃお♪ですおはこんばんちは。
一週間経つの早いね!そしてやっと涼しくなってきたね!体調もぼちぼち回復傾向です。
さて、特にネタもないので、先週の、平田篤胤の「仙境異聞」のつづき
寅吉少年が「山人」について聞かれた時の回答です。
(寅吉少年の師が言うことには)
神(神々の方の神さんのこと)というものはすべて、人から神と崇められているのであれば、世のため人のためになることは何事であっても恵んでくださるものだということです。
理由があって成就が難しい願いであっても、千日祈って験がないときには一万日祈れば験があります。
1万日祈って験がないときには、生涯祈る気持ちで祈願すれば、たとえ邪(よこしま)な願いだとしても、いったんは験を与えて下さるそうです。
まして正しい祈願であれば、よく信心を徹しさえすれば、叶わないことがないものだといいます。しかしながら人間の願うことには、自分では道理にかなった祈りだと思っていても、神から見れば多くは邪(よこしま)な願いなのです。そのため後になってから、知らぬ間に相応の罰を受けることになります。まして、道理を外れた願いと知ってのことであれば、ついに天道より永久の罰が下されるものです。
さて、全ての山々の中に、神のいらっしゃらない山はなく、また山人のいない山もありません。山によって、秋葉山、岩間山などのように、世間でも山人がいることを知っていて、これを天狗と呼んで祈り崇めているところは言うに及ばず、世間では山人がいることに気付いてはおらず、人知れずその山に鎮座なさっている神に祈ったとしても、そこに住む山人は、祈願を聞いてそれを遂げさせてやるものなのです。
とまあ、こんなことを話したようです。
これ、全部合ってるとはぼくは思わないけれども、まぁそうだろうなと。
神や山人を擬人化した感じは、ぼくは半分同意で、半分は「うーん」と思います。
要するに神々って、エネルギーですから。
より人間に近い個性を持った神さんがいるところには、祈願すれば「人間的な願い」としてその念が伝わるでしょうけれども、
精霊とか、もっと純粋なエネルギーに近い存在に近づくほど、ダイレクトにその念が通じたり、自分に返ってきたりしそう。
つまり、人間に近いほど、
神/眷属さんたち
という感じで人間の思う神さんぽいし、
そうでない場合、
エネルギー/エネルギーを流すシステム
という感じで、人間からすれば、「原始的な色を持つエネルギーとそのシステム」として感じられるんじゃないかな。
例えると、もののけ姫のモロ(犬神)や乙事主(猪神)は人間ぽい方の神で、
シシ神(デイダラボッチ)は原始的なエネルギー体、エネルギーシステムに近い感じかな。(作者の意図は知らん)
でも、山や川や海やすべてのものに、神が宿るというのはまさにそのとおり。八百万の神々ですよ。
ちなみに極端な話、プラスチックだってそうですw
この辺、スピ好きでも、 『ちょっと何言ってるかわからない』 って思う人もいるかもしれないので深く語らないけれども。
さて、眷属さんたちが人の願いのためもせっせと働いてるってのも、まさにそう。それだけじゃないけど。
ただぼくが思うに、千日祈るくらいなら、自分でヤレってぼくは思う。
1万日祈るくらいなら、そのように生きなさい と思う。
まして、よこしまな願いを抱き続けるくらいなら、この世に生まれてくる意味がぼくにはよくわからない。
まぁ人それぞれなのでとやかく言わないけれど。
あと、永久の罰というのはないです。いやまじで。
カルマがどっさり貯まるってのはあるかもしれんがw
(頑にそれをお題にして転生を繰り返すんでしょうなぁ)
まぁ、ぼくが言いたいのは、
祈ってるくらいならそう生きなさい ってぼくは思うし、もし仮にぼくが眷属さんだったなら、そう思うと思うよw
んで、例えば人の生死を祈るのは、心情的には理解できるけれども、たとえそれが良くなったからといってもそれがその人のためになっているかどうかってのは、
意外と人間にはわからんものですよ ってこと。
生かされる時は生かされるし、天に召される時はあっさり召されるもんです。
召されたから不幸とは限らないし、ぼくの認識だとむしろ逆だし、かといって生かされてその後ものすごく良く生きたり、
生かされてすんげーカルマを解消する例もあったりするので、結局はどう生きるかってことじゃないでしょうかねぇ。
むしろ、
神に与えられている今の状況で、良く生きるの一番だと思います。
まぁこの↑「良く」ってのが、わりと難しいんだけどねw
良い=正義とか、そうじゃないんですよ。
何を成し遂げるかでもないし。
ただ単に、あなたの微笑みで救われる人もいるかも知れないということ。
ということでこの辺で。
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪