´ω`)ノ ども、暑くてウンザリしている週刊お茶どうのちゃお♪です
おはこんばんちは。
毎日暑くて体が重くて、『ちくしょーめ、人間やってるゼ』って気になりませんか?
ぼくはなりますw
夏バテで体がクッソ重いんですよ。
こんな時、あぁ~死んだらメッチャ軽々だよな~人間、重すぎ と思います。
いや、体が疲れ切ってるからなんでしょうけれども。(もちろん涼しいところで奥さまと和気あいあいと楽しんでる時なんかは、体軽いですもんねぇ)
みなさんも、夏バテとか、体ツライときなんか『人間やってるゼ』とか思うといいですよ。なかなか味わえない貴重な体験だと思ってw
あと人間関係でイライラしてるときなんかも、『これぞ人間としての醍醐味だよな。人間やってるゼ』とかねw
あ、でも、死んだら人それぞれだとは思うけれども、イライラというか、いろんな付き合いとかは、死んでも人によってはあるかもしんない。
死んだら一つなるもの=すべて に完全にとろけるとお思いか?某スピリーダーのように。
うんにゃ。
まーそういう体験(全てなる神に一旦溶け込む=悟り状態)は全員するかもしれないけれども、そのまま完全に溶けておしまい ではないですゾ。
で、何をするかって言ったらさすがに人それぞれとしか言えない。
地獄ってのはないけれども、自分へのバツとして地獄みてーな所に引きこもるやつもいると思う。
そのまま人間としてのコミュニティみたいなところで人間が想像する天国っぽいところでのんびりする人もいると思う。
すぐ転生の準備するやつもいるだろうなぁ。
かと思えば、神さん(一つなる神さんじゃなくて、特徴的なエネルギーを持つ個性を持った神々さんのことね)とか、そのお使いみたいなお役目に戻ったりとか、そのエネルギー体に吸収されたりとか、まぁほんと千差万別かと。
で、通勤時、ぼくはわざと遠回りして自分のエネルギーに合った神社の前を通っていくわけですがw、ホント暑い時とか、体が重すぎるときなんか、お願いするわけです。
いや、毎日だいたいは感謝申し上げ奉るだけなんですよホント。
ですけれども、しんどい時なんかは、
『〇〇さん助けてくださいお願いします(‐人‐)』なんてお願いすることもあります。
するとねー 助けていただけるのですよこれが。
ここぞという時、急に曇って涼しくなったり(休憩時だけピーカンに戻ったりw)、妙に体が軽くなったり。
そんな時は感謝しかございませんな。
でもさ、都合良すぎると「(。・_・。)なんか申し訳ないな」とか思ってしまうので、こういうのは程々にして、しんどさも体験しなきゃなって思う自分がかなりいます。
話はちょっと変わるけど、みなさん、平田篤胤ってご存知ですか?
江戸時代の国学者なんですが、一度くらいは教科書とか、日本史の教材資料なんかで名前を聞いたことあるかもしれません。
で、その人、何でも興味津々な学者だったんですが、当然そういう人はスピにも興味を持つわけでw
「仙境異聞」って書物を残してます。
現代語訳も出てて、ぼくが読んだのは「天狗にさらわれた少年」ってやつですけれども。
まぁ時々天狗のところに修行に行ってしまう寅吉少年を家に寄せては、いろいろ話を聞いてそれを書にまとめたものです。
読んでると、現代のスピ本ほど読みやすくはないけれど、なるほどなーなんて内容も時々あります。んーこれはどうなの?的な内容もありますが、上の世界って結局その世界を構成している人間の想念や文化の影響を色濃くうけるからなぁ。
西洋と中東とアジアと、アジアの中でも日本と中国でも随分違うと思うし。
わりと興味ない内容も多いw
例えば、仙境異聞のスピ少年寅吉くんが、金がないことをしきりに嘆く平田篤胤の門人にこう言います。
「山でも言ってることなのですが、人間というものは、世間を助けるための苦労をするでもなく、自分ひとりのことさえしていればよいように思えます。
しかし、実際にはそう自由にはいかず、長生きもできず、借金があるとか貸したお金があるとか言って、苦労ばかりしていますね。」
一方、山人(山の天狗とか仙人みたいな存在)についてはこう言います。
「山人は長生きで、ものごとを自在にする力もあり、金の貸し借りをめぐる苦労はありません。しかし世間を助けるのに大変で、あちこちの様子を探るために飛び回り、暇が少なくて苦労ばかり多いものです。そうすると、どんな立場であっても苦労は免れる事ができないことのように思えます。」
(すべてであるところの)神って、いろんな存在を体験するけれども、どんな存在でも個性を持った体験体であれば、ちゃーんと苦労は免れることができないようにできているんだなぁw と、思う。
それが天狗だろうが天使だろうが狐霊だろうが龍であろうがなにかの神さんであろうが。
ということで、続きはまた今度。
んじゃ( *`- ω -´)ノシ
ちゃお♪