「とりまお茶でもどうぞ」

日頃思ったこととか

この人生、何を詰め込もうか?

 

´ω`)ノども、あいかわらずネタ切れの週刊おちゃどうのちゃお♪ですこんにちは。

 


こういうときはいつもながら「〇〇とはなんぞや?」シリーズでいきましょうw

 

 

ということで、本日のお題は「人生とはなんぞや?」にて。

 

 

先日、出張先で、ある工場長さんとお話していたときのこと。

 

 

最近流行りの人手不足の話になり、「やっぱ外国人ですか?」ということを聞いてみたら、「まだ日本人だけですねー」とのこと。

 

 

しかも若い人がわりと多いとのこと。

 

 

んじゃあ安泰じゃん!と思ったのですが(口には出しませんよ、もちろん)、

 

 

( ̄o ̄) 若い人が多いのなら覚えも早いし、今どきの人はしっかりしているから大丈夫でしょう?

 

と聞いてみたら、

 


( ;´Д`)いやぁ、最近の若い人、そうでもないです。

 

 

( ˘・A・)え?

 

 

( ;´Д`) 大卒なのに、簡単な濃度計算もできないんですよ・・・

 


( ;´Д`) 500倍の溶液を作ってって頼んでも、作れないんですよ。(500Lの)このタンクに水いっぱいにして、原液をこの(1Lの)カップで入れてくださいって説明してやっと分かる感じです。

 

 

工工エエエ(´Д`;)エエエ工工 

 

 

ってビックリしたんだけれども、その時頭をよぎったのはウチの奥様w

 

「こんなもの将来なんの役に立つんだろう?」ってぜんぜん勉強してこない輩のツケは、仕事仲間が払うのかw

 

 

若い皆様、ぜひともですね、「最低限の知識」くらいは人生に必要なんで、小中学校レベルの内容はお勉強しておきましょうね。

言葉もあまり通じない外国人のほうが仕事ができる なんて、(外国人さんには失礼かもしれないけれども)ちょっとくやしいじゃないですか。

 

 

さて、そこでちょこっとだけ、ふと思ったわけです。

 

 

人生とはなんぞや?なんて。

 

 

自分は何のために生きているのか?

 

 

さてその答えは?

 

 

禅的にお答えすれば(´・ω・`)知らんがな」ですw

 

 

人生とはなんぞや?って考え、思いを馳せることは、ある時期においてとっても大切なことです。じつに。

 

 

でも答えは見えないわけですよw

 

 

そんなことよりもね。

 

 

いまこの人生を生きてしまっている自分」に「何を経験させるか?」「どんなスタンスで生きるか?」を想うほうがね、まだ実際的で、じつは禅的なんですゾ。

 

 

まぁ禅は、そんな事すらも思っとらんで、「その行動に成りきれ」となるわけですが。

 

 

そしてそれが禅的には答えなんですけれども。

 

 

究極、スピでイッちゃった人wなんかは、「私はいない」なんぞなんちゃってるけれども、実際にはいろんなことを思い、想い、経験し、在り方を時々刻々と変えていく魂はあるわけです。

 


それが幻だとしても、夢だとしても、その夢の中にぼくらは入り込んで、こうして生きているわけですな。

 


「色即是空 空即是色」って言葉がありますけれども、「私はいない」って人は、「空」しかないw

 

 

そして「空(くう)」ぶってるw

 

 

でもね、「色」も「空」でなんですゾ。

 


なんだかわけわからん話にきこえるかもしれませんがw

 

 

だから、人生とは、「私」という彩りを生まれつき持って生まれてきた魂が携えてる

「経験袋」に何を入れようか?

って考えてみてみると良いと思いますゾ

 

 

人生とは「経験袋」である。というのが今のぼくの実感かな。

 

 

その袋にね、最低限の人としての常識は小中学校で入れていてほしいものだ、とぼくは思いますよ。

 


まぁ、入れないで苦労するという経験も貴重ですが、自分も仕事仲間も人生ハードモードを最初から選ぶマゾ選択をする必要はあまりないような気が・・・

あ、あと最低限の良心は魂が持って来ているハズ

 

最低限の良心とは、例えばモーゼの十戒みたいなもんです。
宗教的な部分はひとまず置いておいて、人を殺すなとか、盗むなとかそういうこと。
それに加えて、「人の嫌がること、迷惑なことはするな」ってところかな、ぼく的には。

 

 

「助けたい」「人に喜ばれたい」って欲求みたいなのも、良心ですね。

浅ければ「構ってちゃん」とか「おせっかい」とか「甘やかして人をスポイルする」という方向に(残念ながら)向かってしまうけれども、

深くなると、「他人にとって本当に良いとおもう行動を自然にできるようになる」んじゃないかとぼくは思います。

 

 

んで、そういうのは根源的な良心みたいなもの(浅い深いは魂の洗練度合いで変わってくるけれども、ひとまずそれはおいておいて)直感的に魂が持ってきているので、あとは「経験袋」にどんどん自分が経験したい必要なものをぶっこんでいる、というのが「人生」なんじゃないかな?

 

 

それは自分では選べないこともありますよ、もちろん。

 

 

人の生き死にとか、突然降って湧いた事件とか困窮とかね。

 

 

でもその経験を通して、

「その出来事に対して、どんなスタンスを自分は選ぶのか?」
「その経験を通過することによって、その前後で自分はどんなふうに変化しているのか?」

というあれやこれやも全部「経験袋」に放り込まれるわけですよね。

 

 

んで、それをハイヤーセルフは「(⌒∇⌒) シメシメppp」って味わっているわけです。

 

 

時にはガッカリしながら、時には「よくやった!」って褒めながらです。

 

 

まぁハイヤーセルフは放っておきましょうw

 

 

要するに、人生ってそういうことです。

 

 

だからまぁ、人生はドラクエみたいなものっていう主張はそのとおりなんですね。

 

 

起きる出来事なんて、引き寄せの法則でなんて浅いもんだけじゃないです。

 

 

ハイヤーセルフがどんな経験をさせたいか?で変わってくるもんw

 

 

だからそこは神の味噌汁(神のみぞ知る)ってことで。

 


それよりもね、同じ経験でも、人によって入れるものは変わってくるわけです。

 

 

怒りで人を「攻撃する思い」を入れたり、「赦し」を入れたり、あるいは「理解」を入れたり、「提案」を入れたり、

 

 

そこで培われるのが、他人との調和だったりするわけです。まぁなかなか難しいですけれども。

 

 

時にはね、相手に対して大人の対応で放っておいたり、怒ったふりをすることだって、調和のうちの一つだったりすることが、まぁ経験を積むとわかってきたりしまよね?

 

 

子育てするとわりと学びやすいかもしれません。べつにそれに限りませんけれども。

 

 

だから「子はトレーナー」って考えもあるわけですね。たしかもう亡くなっちゃったけどねえやんが言ってたことをよく覚えてますわ。

 

 

 

さぁあなたは「経験袋」に何を入れましょうかね?

 

 


おしまい

 

 

んじゃノシ

 

 

ちゃお♪